日々いろんなことを考え込みすぎてしまう私の、誰かに話したいけど話せない、言葉の保管場所

普遍的で、基本的なこと

ちゃんと1ヶ月ぶり。毎日脳内をぐるぐるしてるものを、誰かに見られる場所で月に1回は言葉にして外に出してみる。それがとても心地良いような、苦しいような。

どうしようもない無力感を覚えた時ここに来れば自分が生きてた証を見せてもらえるから、自分のために自分の脳みそを型取って、しまっておく。

 


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 おはよう~。ついに新学期始まったー。まさかこんなにもコロナが長引くなんて、1年後もオンライン授業のままだなんて、去年の今頃は思ってなかったでしょう。

 

 

なんとなーく抽象的に理解してたものの現実の姿を無理矢理鷲掴みさせられて見せつけられた1年だった。

大学生になる少し前くらいから「日本政府ってダメダメなんだろうな」とは理解し始めてたけど、自分自身がもろに不利益を被って、認識せずにはいられないくらいの危険にさらされたのは初めてだったと思う。

実家で母親ばかりが家事をしてくれていることにずっと違和感はあったけど、同じように私も一人の女性として「家事ができること」を期待される場面に遭遇したのも初めてだった。

いろんなことが、現実世界で、ちゃんと自分の身に起きてしまった。それは私だけじゃないはず。そういう意味で衝撃の強い期間が続いてるけど、強い衝撃が何度も続くとその痛みに慣れてきてしまう人もいるのは当然で、だからこんなにひどい現実を突きつけられてもいまだに投票率が上がらなかったりするんだろうと思う。毎日毎日ハンマーで殴られ続けたら、殴られているという事実から逃げて、無視して、愛のムチだと思いたくなることもある。

 

 

ジェンダーの分野で問題とされていることもほとんどがそうなんだと思う。女性より男性の方が優れているという認識は、知らない間に私たちの潜在意識に刷り込まれてこびりついて、少しの違和感くらいじゃなかなか逃れられない。かけっこで女の子に負けるとなぜか信じられないくらい悔しく感じてしまう男の子も、他の子より強い握力をなぜか隠したくなってしまう女の子も、そういうことが日々起こりすぎて、鈍感になるように育てられて、生きてきてしまったから。

 

私は去年から主にジェンダーについて色々学んで、前よりも周りの環境に敏感になって、気づけること・見えるものが増えた。自分の奥底にこびりついてたものを見つけてそれを剥がす瞬間は気持ちよくて楽しい。

だけど、自分ですでに剥がして捨てた価値観を他人から「いや、それは身に付けておくべきじゃない?」と押し戻されることもあって、それに上手く対処できないという苦しさやもどかしさに、心がどんよりしてしまうことも多い。

 

 

 

そういえば部活に必死だった高校生の頃も、同じようなことがあった。部活終わりに親友と二人っきりで今のチームの状態について話すのが日課で、自分たちは「見える」状態で他のチームメイトたちの多くは「見えていない」状態だってことに苦しんでた。二人の世界に閉じこもって、二人だけに見えてるチームの課題を勝手に抱え込んで、「こんなにしんどいなら見えない側にいられたらよかった」って思うようになって。

でも今はなんとなく、「見えない側にいられたらよかった」んじゃなくて、見えているだけの状態に留まってるからしんどかったんだろうと思う。

 

 

 

 

こびりついてるおかしなものに気づいて、見えるようになって、自分の力でそれを剥がしたら、それから先はどんな風にその「剥がすべき価値観」を身に付けたままの人・まだ剥がせていない人と関わって、自分の価値観を大切にしてあげればいいんだろう、、

 

 

 今私が持ってる、ヒントになるかもしれないものの一つは、「普遍的で、基本的なこと」。

 

職場などでの上下関係を利用したハラスメントはやめましょうとか、家庭や恋愛などプライベートな内容の質問をしまくるのはやめましょうとか、相手の恋人や配偶者について話すとき「彼氏/彼女」「旦那さん/奥さん」など性別を決めつけた呼び方をするのは控えましょうとか、そういうものに触れると毎回お決まりのように「最近は決まりが厳しすぎるなぁ」「めんどくさい時代になったなぁ」みたいな反応をしてしまう人はどこにでも一定数いるけど、

「最近」の「新しい」考え方だから従わなきゃいけないわけでも、時代に付いて来いと言ってるわけでもなくて、全部単純に「誰かを傷つけないために想像力を持ちましょう」という基本的なお約束のままだ。 

 

自分にとって新しい考えや言葉に出会った時、どうにか普遍的で基本的なレベルまでブレイクダウンして理解・納得できるようにがんばる。

例えば私のバイト先でのおかしなジェンダー規範が「おかしい」ことである、普遍的で基本的な理由は、「決めつけによって、個人を尊重できてない」から。

店員が勝手に判断して男の子には青のスプーンを渡すことは、男の子は青が好きだと決めつけているので良くない。男の子は青が好きだと決めつけるのは、性別と特定の性質や役割を結び付ける習慣を生むので良くない。性別と性質や役割を結び付けるのは、様々な場面で本人の意思に反した役割や性質を期待し押し付けてしまうので良くない。自分の意思に反した役割や性質を押し付けられるのは、個人の意思が尊重されていないので良くない。

あぁこれも結局は「個人を尊重しましょう」ってことなんだなってわかれば、難しそうな論も落とし込める気がする、たぶん。

だとしたらそれが鍵なのかもしれないよね。異常なものを「これは異常ですよ」と伝えるための、鍵かもしれないよね。

 

 

 

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そしてもう一つ大切なのは、「はがすべき価値観をまだ身に付けている人」だけに目を向け続けないことだ。

 

数日前に知り合いの目上の方と話す機会があって、いつも通り私は「まぁ私のアンテナが過敏になっちゃってるのかもしれないですけど」って前置きをしてからバイト先でのモヤモヤについて話をしたんだけど、話を聞いてくれてたその方がものすごく当たり前に「過敏なんかじゃないよ」と付け加えてくれて、ドキッとした。

私だってバイト先でのことは異常だと自信を持ってるはずなのに、課題を課題だって声に出すことに後ろめたさを感じてしまって、しかもそれを態度にも出してしまってたんだ。なかったことにしたくないのに、「まぁ現実そんなもんですよね」と言ってしまいそうな、そういう大人になりかけている自分にハッとして、背筋が伸びた。

 

私の話を聞いて「それはあなたが過敏なわけじゃないよ」と当たり前に肯定してくれたあの人は、心底かっこよかった。

そこら中にあるジェンダーの問題に気が付いてない人たちと比べて「見える状態」だということをしんどく感じてしまうことも多いけど、関心ゼロの人たちにどう訴えかけるかを必死に考えることだけが解決策ではないのかもしれないよね。

少しずつ問題意識を持ち始めてる人に対して「その違和感は間違ってないよ」と言えることも、きっと同じくらい大切で大きいんだよね。そうやって肯定できるくらいの知識量や思考を身につけることを目標にするのも素晴らしいんだよね、きっと。

そして、少し興味を持ち始めてる人とかすでに学んでる人とたくさんお話をしてコミュニティを少しずつ広げていくことを、頑張ってもいいんだよね。私が秋田市男女共同参画の活動に加えてもらったように、そして私も友達にその活動の話をして少しはジェンダー学を身近に感じてもらえてるように、少しずつ、広がっていくだろうから。

 

 

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最後に

だいたい月1というかなりゆっくり(?)ペースのブログだけど、ちょくちょく気にかけてここを覗いてくれて、ありがとう^_^

月に一度書いてるというよりは1ヶ月かけて書いてるって感覚なので、頻度はなかなか上げられないけど、、

もうすぐ、いろんな人が私のブログのページを開いてくれた回数が、合計1万回になるよ!びっくり!こんな長くやってることを考えたらたいしたことないのかもしれないけど(笑)それでもものすごく、勝手に、嬉しいです!!

素直に喜びます!やったーー!!

 

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明日も、5月も、幸せに過ごせますように!