日々いろんなことを考え込みすぎてしまう私の、誰かに話したいけど話せない、言葉の保管場所

言語化は呪縛か

こんばんは~。

今月はいつにもましてゆっくり書いていたら月末ギリギリになってしまいました、自分と向き合い続けるのってものすごいパワーを使うよね、、今日はそのことについて!

 

私はいわゆる「常に脳内で反省会やってるタイプ」で、たぶん小さい頃から、自分が発した言葉を何回も脳内再生しては「〇〇って言った方が柔らかく聞こえたかな」と落ち込んだり、友達や親に言われた言葉を何度も思い出しては何重にも傷付いたりして、

自分のそういう部分はクヨクヨしてて嫌だなと思いつつ、実際そうやって反省会してる時間が心地良かったりもしたのかもとは思いつつ。

 

 

最近ようやく『これからの男の子たちへ』を読み終わり、もう、脳内のものすごいアップデートが行われたんだけど、数ある学びの中でも一番面白かったのは男の子の言語化能力について。

(女性の弁護士の太田啓子さんという方が、男の子の育児をする中で日々感じる問題意識を様々な分野の専門家たちとの対談を交えながら解説しています。「息子を加害者にしないために」という目線で語られていて、とても共感しやすくて読みやすいです。ジェンダー学の専門的な言葉もちょくちょく出てくるけど、これから勉強していきたい人にとっては良い頻度かと。とってもオススメ!)

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子どもが泣きそうになった時に親が「痛かったね」「悲しかったね」と先に言ってしまうのは子どもが自分の力で感情を言語化する機会を奪ってしまうから問題だ、っていう問題提起があってね、

そうやって幼少期から言語化の機会を奪われたりして、自分の感情や状況を言葉で説明する訓練を十分にできないまま大人になってしまうのは、男の子に顕著な傾向なんだって。

少し想像してみると、女性はなんとなくわかるでしょうか。「は?関係ないでしょ」と思う男性も多いでしょうか。

 

私はその「感情の言語化能力の男女差」を知って、いろんなことを思い返して、自分が常日頃から言語化に追われているような感覚があるのは私の個人的要因だけじゃなく社会的要因もあるのかと、こんなところにまで性差ってこびりついてるのかと、ぎょっとした。

ほんとうに著者の太田さんがいう通り、あらゆる分野におけるマジョリティーとマイノリティーの大きな差って、どれだけ言語化を求められるかだと思うんだよ。

 

思い返せば私の周りにも私自身にも、「女なのに〇〇」と思われてしまうことはもれなく、わかりやすい説明付きで許しをもらわなきゃいけないことが山ほどあった。

例えば小学校で男子ばかりのサッカー部に入部した唯一の女の子は、気が付けばいっつも「なんで金管とかバスケ部じゃないの?」と聞かれ、しまいには「男好きなんじゃないの?」なんていう偏見にもさらされてた。 

例えば一昔前に女性が家庭に入らず働くとなれば、どれだけの人を説得して、許しをもらう必要があっただろうか(まだまだ「一昔前」と呼べるほど状況を改善できてはいないけど)。男の人なら「なんで専業主夫にならないの?」なんて聞かれることはほとんどないのは現代でも同じ。

マジョリティーである男性は、「感情を言語化する機会を奪われる」とまではいかなくてもすでに「常識」や「普通」として社会にインストールされた生き方を、特別な説明をせずとも選べる。それが特権。

 

 

これは性差別に限った話ではなくて、人と違うことをしたり少数派な性質を持っていると常に「なんで?」と聞かれるのは男女問わずほとんどの人が経験のあることだと思う。

「単純に人と違うことで求められる言語化」と「差別構造の中で求められる言語化」の深刻さは全然違うけれど、意図せずとも下駄を履いて生きてきた男性たちが、マイノリティーってこういうことかなぁと少しでも実感できるように、他の人との差異を説明する大変さに目を向けるのはとっても大事なことだと思うんだよ。

 

 

 

 

あとね、みんなと違うって素晴らしいことだ、それが強みだよ、と大好きなテイラースウィフトも言ってたし元々なんとなくその価値観は持ってたけど、ほんとうだったんだ。

私は女性っていうマイノリティー要素だけじゃなく、鬱になった経験とか、必ずしもポジティブには捉えられない弱い部分がいくつかあるけど、それでいいし、それがいいんだ、弱いって強いんだ。私はきっと弱い部分があるおかげで自分の感情にとことん向き合って言語化できるし、感情に訴えかけて物事を動かすのも得意なんだ

 

決して、性差別構造がこのままでいいってことじゃない。ジェンダー学は、弱者が弱者のまま尊重されるための学問だから。女性全員に重労働をさせろだとか外見に気を遣う女性を排除しようだとかそういう考えではなく、可愛くありたい人は可愛くていいしかっこよくありたい人はかっこよくていいはずだから。

男性(マジョリティー)に比べて女性(マイノリティー)の方が言語化を要される機会が多く、結果的に感情の言語化能力が上がることが多い。結果自体の受け取り方は人それぞれで、私の場合は言語化能力が付いて嬉しいような気もするけど、その過程でマイノリティーが受け続けてきた苦しみを「結果オーライ!」で終わらせちゃいけない。

深刻な貧困問題を抱える国の人たちを「それなのになぜか幸福度が高い!」「幸せはお金じゃないんですね」「この状況だからこそ小さな幸せを大切にできるのかも」と取り上げるのは簡単だけど、満足に食べられない現状を「幸せを噛み締めるためのスパイス」にして片付けちゃいけない、それと同じだ。

 


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弱いって強い。私はマイノリティーだからこそ、いろんなことを言葉にして伝えられる。けど将来自分の子どもには、なんでも説明しなきゃ理解や権利を得られないようなそんな苦しみは背負ってほしくない、そう思うから、ちゃんと変えていかなきゃいけないよね

 

 

 

脳内反省会は、変わらず私の心地良い時間だけど、でも同時に差別構造から無意識に受けた影響だったのかもしれない。だとしたら言語化は呪縛だけど、大切な人に自分の脳内を言葉にして伝えるのは愛だとも思う。自分と相手の間にどんな違いや差があるのか言葉にして向き合うのは、きっと愛だと思うし、私はたぶん、そういう愛し方しか知らない。絵を描くのもブログを書くのも大切な友人や恋人にお手紙を書くのも大切な言語化だから、言語化は呪縛かもしれないけど、きっとちゃんと愛でもある。

今日もたっぷり 言語化した^_^

 

おやすみ