日々いろんなことを考え込みすぎてしまう私の、誰かに話したいけど話せない、言葉の保管場所

等しくない部分

珍しくもう今月の分を書きました。

 

 

少し前に、ちょっと感動?びっくり?したことがあって。

 

最近知り合ったひとがね、私の本棚にジェンダーの本があるのを見て、「前から聞く機会逃してたんだけど、ジェンダー学ってなに?」って聞いてくれて。

本当に嬉しかった。単純に自尊心がくすぐられたんだろうとも思うけど、私の言葉を聞くことで私のことを知ろうとしてくれたのが嬉しかった。私なら「ジェンダーとは」って検索して密かに相手のことを理解したつもりになってしまうような気がして、それじゃダメだって気づかされた。 

だってネットには「生物学的な性別に対して、社会的・文化的に作られる性別」って書いてあったとしても、私はそういう辞書的な説明に加えて「自分の家庭がどんなだったか」「ジェンダー学を学んでどんなに楽になったか」を話すと思うし、相手も私の本棚にあったから聞いてくれたわけで、一般的な説明よりも私の一部としてジェンダーって何なのかを知りたがってくれてるんだと思うから。

 

あとこの人がもう一つすごかったのは、出会って間もないのに「まみちゃんってされて嫌なこととかある?」と聞いてくれたこと。
5分くらい考え込んで、「この通り私は考えすぎてしまう性格ですがそれも私には必要なことだから、気長にほっといてくれたら嬉しいかな」と伝えた。
 
あの時一旦はそう答えたけど今もまだ「されて嫌なこと」考え続けていて、相手が私のことを知ろうとして投げかけてくれる質問はこんなにも力があるんだなぁと感じてる。特に私は、誰かと交わした言葉(相手が言ったことも、自分が発した言葉も)が長く心に留まることが多いから、何度も何度も言葉を脳内で校正して何度も新しい答えが思い浮かぶ。だから結局私が一番されたくないのは「ひとつの言葉で結論付けられること」かなと思ったりして、、。
だから、「されて嫌なこと」、いつかまた忘れた頃にでもいいからもう一回聞いてほしいな。毎日たくさん考えてるから、前に答えた時とは違う言葉がきっとたくさん出てくるから。
 
相手との過去の思い出からその人の人物像を描くんじゃなくて今の相手の言葉からその人を知ろうとすること、誰かと時間を過ごすときに忘れちゃいけない大切なことだな。私は相手のことを勝手に観察して勝手に言語化しようとするクセがあるから、ちゃんと対話して、相手の言葉から理解しようとできるようになりたい。
 
 
 
 
 
 
あと私はたぶん、なんだかんだいって考え込むのが好きで、だからその考え込んでる時間を否定しないために「私を決めつけない」でいてほしいんだとわかった。一度伝えた少しの言葉で私のことを100言い表されてしまうのは、そのあとも諦め悪く考え続けてた時間を否定されてるようで、キツい。
 
 
思えば、私が自信を失わずに安心して一緒にいられたのは、私のことを知ったかぶりしない人たちばかりだった。
私の親友は、いつもちゃんと「?」をくれる人だった。「まみかって~~だよね」って言語化してくれることもよくあったけどそれは決めつけではなくて、彼の目にわたしがどんな風に映ってるのかを教えることで私に考えるきっかけをくれることだった。あの子の「?」は、きっと私への敬意だったと思う。
 
 
 
でも、何かを聞くって本当にすごく難しいんだよ。私の場合は、相手に質問をするとその人との間に優劣関係ができてしまうような感覚があるから。 「わからない」って表明するのって恥ずかしいし、なんでもわかってる方がカッコよく見えるから。
だけど、私に「?」をくれる「質問できる」側の人の方が本当は余裕があって素晴らしいって最近ようやく気付き始めてる。
 

 

私はたぶん、「素直に褒める」ができない。褒めることで相手との間にパワーバランスができてしまうような気がして、「〇〇ができるあなたはすごいね」と言うと私はその〇〇ができない人間だと自分で自分に烙印を押してしまうみたいで、怖くて難しい。

小さい頃から身に付けてしまった、優劣を付けたり自分より上か下かを判断するクセは簡単には治らなくて、実はすごく苦労してる。もしかしたらいろんな悩みの原因がそのクセにあるんじゃないかと思うくらい、深刻なのかもしれない。

 
 
 
 
 
 
対等になりたい。対等な関係ってどんなだろうって、わかりたくて、考え続けてる。
褒めるのが苦手らしい私でも、尊敬の念を伝えまくれる相手がいないわけじゃない。だけど、尊敬し合えてるイコール対等なのかな? 
対等って、お互いがお互いを上に見てることとはちょっと違う気がするんだよなぁ。だって、お互いが上目遣いで相手を見つめようとしてちゃ、一生目線は重ならないし。自分の目線で生きてたらたまたま目線の高さが重なる人と出会うしかないのかなぁ。「対等になる」んじゃなくて、元から対等なレベルじゃなきゃいけないのかなぁ。でもそれは、対等を探してるんじゃなくて自分と都合よく同じっぽいものを探してるだけなのかもしれないし。
 
、、珍しく、答えが出ていません。いつもブログを書くのは何週間も考え続けてたことに何かしらの答えが見えたときなんだけど、「対等とは?」は、もっともっと長い時間をかけてゆっくり考えてもいいことなのかもしれないね
 
 
 
番宣かい!!!となってしまいそうですが(笑)、「対等とは?」は私の個展の大きなテーマでもあります。
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(ブログではたぶん初めて言いますが8/15~18に秋田で個展を開催しまーす♡詳しくはインスタグラムへ♡)
 
 
 
 
 
 
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この絵を描いたとき、私の心にはたしかに「手を引いてるのはどっちなんだろう」って想いがあって。小指だけに注目したら右側の人が意思を持って歩く方向を決めて相手を引っ張っていそうな気もするけど、手により力が入ってるのは左側の人にも見える。
 
 
対等ってなんだろう。