日々いろんなことを考え込みすぎてしまう私の、誰かに話したいけど話せない、言葉の保管場所

言語化は呪縛か

こんばんは~。

今月はいつにもましてゆっくり書いていたら月末ギリギリになってしまいました、自分と向き合い続けるのってものすごいパワーを使うよね、、今日はそのことについて!

 

私はいわゆる「常に脳内で反省会やってるタイプ」で、たぶん小さい頃から、自分が発した言葉を何回も脳内再生しては「〇〇って言った方が柔らかく聞こえたかな」と落ち込んだり、友達や親に言われた言葉を何度も思い出しては何重にも傷付いたりして、

自分のそういう部分はクヨクヨしてて嫌だなと思いつつ、実際そうやって反省会してる時間が心地良かったりもしたのかもとは思いつつ。

 

 

最近ようやく『これからの男の子たちへ』を読み終わり、もう、脳内のものすごいアップデートが行われたんだけど、数ある学びの中でも一番面白かったのは男の子の言語化能力について。

(女性の弁護士の太田啓子さんという方が、男の子の育児をする中で日々感じる問題意識を様々な分野の専門家たちとの対談を交えながら解説しています。「息子を加害者にしないために」という目線で語られていて、とても共感しやすくて読みやすいです。ジェンダー学の専門的な言葉もちょくちょく出てくるけど、これから勉強していきたい人にとっては良い頻度かと。とってもオススメ!)

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子どもが泣きそうになった時に親が「痛かったね」「悲しかったね」と先に言ってしまうのは子どもが自分の力で感情を言語化する機会を奪ってしまうから問題だ、っていう問題提起があってね、

そうやって幼少期から言語化の機会を奪われたりして、自分の感情や状況を言葉で説明する訓練を十分にできないまま大人になってしまうのは、男の子に顕著な傾向なんだって。

少し想像してみると、女性はなんとなくわかるでしょうか。「は?関係ないでしょ」と思う男性も多いでしょうか。

 

私はその「感情の言語化能力の男女差」を知って、いろんなことを思い返して、自分が常日頃から言語化に追われているような感覚があるのは私の個人的要因だけじゃなく社会的要因もあるのかと、こんなところにまで性差ってこびりついてるのかと、ぎょっとした。

ほんとうに著者の太田さんがいう通り、あらゆる分野におけるマジョリティーとマイノリティーの大きな差って、どれだけ言語化を求められるかだと思うんだよ。

 

思い返せば私の周りにも私自身にも、「女なのに〇〇」と思われてしまうことはもれなく、わかりやすい説明付きで許しをもらわなきゃいけないことが山ほどあった。

例えば小学校で男子ばかりのサッカー部に入部した唯一の女の子は、気が付けばいっつも「なんで金管とかバスケ部じゃないの?」と聞かれ、しまいには「男好きなんじゃないの?」なんていう偏見にもさらされてた。 

例えば一昔前に女性が家庭に入らず働くとなれば、どれだけの人を説得して、許しをもらう必要があっただろうか(まだまだ「一昔前」と呼べるほど状況を改善できてはいないけど)。男の人なら「なんで専業主夫にならないの?」なんて聞かれることはほとんどないのは現代でも同じ。

マジョリティーである男性は、「感情を言語化する機会を奪われる」とまではいかなくてもすでに「常識」や「普通」として社会にインストールされた生き方を、特別な説明をせずとも選べる。それが特権。

 

 

これは性差別に限った話ではなくて、人と違うことをしたり少数派な性質を持っていると常に「なんで?」と聞かれるのは男女問わずほとんどの人が経験のあることだと思う。

「単純に人と違うことで求められる言語化」と「差別構造の中で求められる言語化」の深刻さは全然違うけれど、意図せずとも下駄を履いて生きてきた男性たちが、マイノリティーってこういうことかなぁと少しでも実感できるように、他の人との差異を説明する大変さに目を向けるのはとっても大事なことだと思うんだよ。

 

 

 

 

あとね、みんなと違うって素晴らしいことだ、それが強みだよ、と大好きなテイラースウィフトも言ってたし元々なんとなくその価値観は持ってたけど、ほんとうだったんだ。

私は女性っていうマイノリティー要素だけじゃなく、鬱になった経験とか、必ずしもポジティブには捉えられない弱い部分がいくつかあるけど、それでいいし、それがいいんだ、弱いって強いんだ。私はきっと弱い部分があるおかげで自分の感情にとことん向き合って言語化できるし、感情に訴えかけて物事を動かすのも得意なんだ

 

決して、性差別構造がこのままでいいってことじゃない。ジェンダー学は、弱者が弱者のまま尊重されるための学問だから。女性全員に重労働をさせろだとか外見に気を遣う女性を排除しようだとかそういう考えではなく、可愛くありたい人は可愛くていいしかっこよくありたい人はかっこよくていいはずだから。

男性(マジョリティー)に比べて女性(マイノリティー)の方が言語化を要される機会が多く、結果的に感情の言語化能力が上がることが多い。結果自体の受け取り方は人それぞれで、私の場合は言語化能力が付いて嬉しいような気もするけど、その過程でマイノリティーが受け続けてきた苦しみを「結果オーライ!」で終わらせちゃいけない。

深刻な貧困問題を抱える国の人たちを「それなのになぜか幸福度が高い!」「幸せはお金じゃないんですね」「この状況だからこそ小さな幸せを大切にできるのかも」と取り上げるのは簡単だけど、満足に食べられない現状を「幸せを噛み締めるためのスパイス」にして片付けちゃいけない、それと同じだ。

 


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弱いって強い。私はマイノリティーだからこそ、いろんなことを言葉にして伝えられる。けど将来自分の子どもには、なんでも説明しなきゃ理解や権利を得られないようなそんな苦しみは背負ってほしくない、そう思うから、ちゃんと変えていかなきゃいけないよね

 

 

 

脳内反省会は、変わらず私の心地良い時間だけど、でも同時に差別構造から無意識に受けた影響だったのかもしれない。だとしたら言語化は呪縛だけど、大切な人に自分の脳内を言葉にして伝えるのは愛だとも思う。自分と相手の間にどんな違いや差があるのか言葉にして向き合うのは、きっと愛だと思うし、私はたぶん、そういう愛し方しか知らない。絵を描くのもブログを書くのも大切な友人や恋人にお手紙を書くのも大切な言語化だから、言語化は呪縛かもしれないけど、きっとちゃんと愛でもある。

今日もたっぷり 言語化した^_^

 

おやすみ

 

 

 

 

普遍的で、基本的なこと

ちゃんと1ヶ月ぶり。毎日脳内をぐるぐるしてるものを、誰かに見られる場所で月に1回は言葉にして外に出してみる。それがとても心地良いような、苦しいような。

どうしようもない無力感を覚えた時ここに来れば自分が生きてた証を見せてもらえるから、自分のために自分の脳みそを型取って、しまっておく。

 


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 おはよう~。ついに新学期始まったー。まさかこんなにもコロナが長引くなんて、1年後もオンライン授業のままだなんて、去年の今頃は思ってなかったでしょう。

 

 

なんとなーく抽象的に理解してたものの現実の姿を無理矢理鷲掴みさせられて見せつけられた1年だった。

大学生になる少し前くらいから「日本政府ってダメダメなんだろうな」とは理解し始めてたけど、自分自身がもろに不利益を被って、認識せずにはいられないくらいの危険にさらされたのは初めてだったと思う。

実家で母親ばかりが家事をしてくれていることにずっと違和感はあったけど、同じように私も一人の女性として「家事ができること」を期待される場面に遭遇したのも初めてだった。

いろんなことが、現実世界で、ちゃんと自分の身に起きてしまった。それは私だけじゃないはず。そういう意味で衝撃の強い期間が続いてるけど、強い衝撃が何度も続くとその痛みに慣れてきてしまう人もいるのは当然で、だからこんなにひどい現実を突きつけられてもいまだに投票率が上がらなかったりするんだろうと思う。毎日毎日ハンマーで殴られ続けたら、殴られているという事実から逃げて、無視して、愛のムチだと思いたくなることもある。

 

 

ジェンダーの分野で問題とされていることもほとんどがそうなんだと思う。女性より男性の方が優れているという認識は、知らない間に私たちの潜在意識に刷り込まれてこびりついて、少しの違和感くらいじゃなかなか逃れられない。かけっこで女の子に負けるとなぜか信じられないくらい悔しく感じてしまう男の子も、他の子より強い握力をなぜか隠したくなってしまう女の子も、そういうことが日々起こりすぎて、鈍感になるように育てられて、生きてきてしまったから。

 

私は去年から主にジェンダーについて色々学んで、前よりも周りの環境に敏感になって、気づけること・見えるものが増えた。自分の奥底にこびりついてたものを見つけてそれを剥がす瞬間は気持ちよくて楽しい。

だけど、自分ですでに剥がして捨てた価値観を他人から「いや、それは身に付けておくべきじゃない?」と押し戻されることもあって、それに上手く対処できないという苦しさやもどかしさに、心がどんよりしてしまうことも多い。

 

 

 

そういえば部活に必死だった高校生の頃も、同じようなことがあった。部活終わりに親友と二人っきりで今のチームの状態について話すのが日課で、自分たちは「見える」状態で他のチームメイトたちの多くは「見えていない」状態だってことに苦しんでた。二人の世界に閉じこもって、二人だけに見えてるチームの課題を勝手に抱え込んで、「こんなにしんどいなら見えない側にいられたらよかった」って思うようになって。

でも今はなんとなく、「見えない側にいられたらよかった」んじゃなくて、見えているだけの状態に留まってるからしんどかったんだろうと思う。

 

 

 

 

こびりついてるおかしなものに気づいて、見えるようになって、自分の力でそれを剥がしたら、それから先はどんな風にその「剥がすべき価値観」を身に付けたままの人・まだ剥がせていない人と関わって、自分の価値観を大切にしてあげればいいんだろう、、

 

 

 今私が持ってる、ヒントになるかもしれないものの一つは、「普遍的で、基本的なこと」。

 

職場などでの上下関係を利用したハラスメントはやめましょうとか、家庭や恋愛などプライベートな内容の質問をしまくるのはやめましょうとか、相手の恋人や配偶者について話すとき「彼氏/彼女」「旦那さん/奥さん」など性別を決めつけた呼び方をするのは控えましょうとか、そういうものに触れると毎回お決まりのように「最近は決まりが厳しすぎるなぁ」「めんどくさい時代になったなぁ」みたいな反応をしてしまう人はどこにでも一定数いるけど、

「最近」の「新しい」考え方だから従わなきゃいけないわけでも、時代に付いて来いと言ってるわけでもなくて、全部単純に「誰かを傷つけないために想像力を持ちましょう」という基本的なお約束のままだ。 

 

自分にとって新しい考えや言葉に出会った時、どうにか普遍的で基本的なレベルまでブレイクダウンして理解・納得できるようにがんばる。

例えば私のバイト先でのおかしなジェンダー規範が「おかしい」ことである、普遍的で基本的な理由は、「決めつけによって、個人を尊重できてない」から。

店員が勝手に判断して男の子には青のスプーンを渡すことは、男の子は青が好きだと決めつけているので良くない。男の子は青が好きだと決めつけるのは、性別と特定の性質や役割を結び付ける習慣を生むので良くない。性別と性質や役割を結び付けるのは、様々な場面で本人の意思に反した役割や性質を期待し押し付けてしまうので良くない。自分の意思に反した役割や性質を押し付けられるのは、個人の意思が尊重されていないので良くない。

あぁこれも結局は「個人を尊重しましょう」ってことなんだなってわかれば、難しそうな論も落とし込める気がする、たぶん。

だとしたらそれが鍵なのかもしれないよね。異常なものを「これは異常ですよ」と伝えるための、鍵かもしれないよね。

 

 

 

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そしてもう一つ大切なのは、「はがすべき価値観をまだ身に付けている人」だけに目を向け続けないことだ。

 

数日前に知り合いの目上の方と話す機会があって、いつも通り私は「まぁ私のアンテナが過敏になっちゃってるのかもしれないですけど」って前置きをしてからバイト先でのモヤモヤについて話をしたんだけど、話を聞いてくれてたその方がものすごく当たり前に「過敏なんかじゃないよ」と付け加えてくれて、ドキッとした。

私だってバイト先でのことは異常だと自信を持ってるはずなのに、課題を課題だって声に出すことに後ろめたさを感じてしまって、しかもそれを態度にも出してしまってたんだ。なかったことにしたくないのに、「まぁ現実そんなもんですよね」と言ってしまいそうな、そういう大人になりかけている自分にハッとして、背筋が伸びた。

 

私の話を聞いて「それはあなたが過敏なわけじゃないよ」と当たり前に肯定してくれたあの人は、心底かっこよかった。

そこら中にあるジェンダーの問題に気が付いてない人たちと比べて「見える状態」だということをしんどく感じてしまうことも多いけど、関心ゼロの人たちにどう訴えかけるかを必死に考えることだけが解決策ではないのかもしれないよね。

少しずつ問題意識を持ち始めてる人に対して「その違和感は間違ってないよ」と言えることも、きっと同じくらい大切で大きいんだよね。そうやって肯定できるくらいの知識量や思考を身につけることを目標にするのも素晴らしいんだよね、きっと。

そして、少し興味を持ち始めてる人とかすでに学んでる人とたくさんお話をしてコミュニティを少しずつ広げていくことを、頑張ってもいいんだよね。私が秋田市男女共同参画の活動に加えてもらったように、そして私も友達にその活動の話をして少しはジェンダー学を身近に感じてもらえてるように、少しずつ、広がっていくだろうから。

 

 

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最後に

だいたい月1というかなりゆっくり(?)ペースのブログだけど、ちょくちょく気にかけてここを覗いてくれて、ありがとう^_^

月に一度書いてるというよりは1ヶ月かけて書いてるって感覚なので、頻度はなかなか上げられないけど、、

もうすぐ、いろんな人が私のブログのページを開いてくれた回数が、合計1万回になるよ!びっくり!こんな長くやってることを考えたらたいしたことないのかもしれないけど(笑)それでもものすごく、勝手に、嬉しいです!!

素直に喜びます!やったーー!!

 

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明日も、5月も、幸せに過ごせますように!

 

 

 

 

何者でもなくない

久しぶりー!今日は夕方まで予定がなく、久しぶりにアラームをセットせずに寝られてとっても幸せです。元気です!!

 

初めて書きますが、最近は信頼する友人2人と起業しようとしていて、ミーティングだらけの毎日です。「最近」といっても昨年末からわりと密に時間を割いて頑張っていて、すでに私の一部になりつつある。

あ、「どんなことで起業するの?」はまだ聞かないでね(笑)私たちの核がきちんと決まってから、団体として発信したいので。

 

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そして最近ね、ジェンダーに関すること、ここ(ブログ)に書いて思いを言葉にしてアウトプットしててよかったなぁ、と思う出来事があったよ。

 

いつもミーティングや自習のために使ってる場所がたまたま男女共同参画関連の施設だったんだけど、施設内の自習スペースを個人的に利用する分には特別何かジェンダー関連の繋がりができるわけでもなく、

月に何回か行ってはミーティングのために場所だけを使い、職員さんと会釈を交わし、たまに貸し出し可能な本を借り、、というだけの、そういう場所があって。

けど先月、2月18日(嬉しすぎて日付を覚えている)、何を思ったか私はいきなり職員さんに「素敵な空間ですよね〜」と声をかけてしまったんだよね、ドキドキモジモジしながら。笑

そこからはもう頭が口に追いついてないような状態で、どんな反応をされるかよく考えもせずポンポンポンポンと会話が続いて、、「どうすればここで働けますか」とか聞いてしまってた。

 

実際本当に居心地の良い空間だった。同意のない性行為は性犯罪だと伝えるポスターも、女性議員数が少なすぎると訴えるチラシも、施設内に存在してる言葉のほとんどがしっかりきちんと正しくて。女の人が家事をしてる写真の広告を見て心をすり減らすような、意識の低い環境に身を置いてる時とは違って、無駄に傷付けられる必要のない、安全で安心で居心地のいい場所だった。

 

勢いで漏れてしまった私の本音を聞いた職員さんは、意外にもとっっても喜んでくれた。意外にも。本当に驚きだった、あんなに喜んで歓迎してくれるなんて。

 


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そこから本当に文字通り「トントン拍子」でいろんな人に繋げてくださって、いろんなイベントを紹介してくださって、、今週は初めてジェンダー関連の集まりに参加させてもらった。

すごい、、、こんなことがあるんだ。私なんかが、独学でちょっと勉強しただけの私なんかが、ジェンダー学を専門的に学んだり仕事にして生きていたりする人たちと同じ空間で何かを話すなんて、、どうしよう、どうしよう。焦ったし、怖かった。

 

 

自分がまだ何者でもないってことが、年末あたりから少しずつコンプレックスになってた。自分と同い年くらいの女の子が芥川賞を受賞したのを知って、同い年の乃木坂の子がドラマに出演してるのを見て、なんの肩書きもない自分が、辛かった。そういう「何者かになれている」人たちは、まだ何者でもない状態のうちにどこかのタイミングで何かを捨てる選択をして今の道に決めたんだろうなと思った。私も、大学を辞めて画家になる決心をしたり、性教育家になる決心をしたり、ジェンダー関連の団体を立ち上げたり、した方がいいのかなと思った。

 

けどそうじゃなかったんだ。

私がジェンダーについてどんなものに触れてきてどんな考えを持ってるか、それを表したものを私はちゃんと持ってる。何かの賞を獲ったわけでもSNSでバズったわけでもないけれど、私が自信を持って「私の中身です」って見せられる、私が何者なのかを表すものはちゃんと持ってたんだ。

何者でもなくなんてなかったんだ。

新聞に載るような功績を残してなくても、テレビで取り上げられるほどの注目を集めてなくても、私が私の脳内を削って形にしたものがあれば、それを初対面の人に「私はこういうものです」と見せられれば、私が誰なのか伝えることは十分可能なんだ。

すぐに結果が出るもの・何に繋がるか明確なものではなくても、チャンスのようなものの間近に偶然居合わせることができた時に、「こういう者です、よろしくお願いします」と差し出せるものになるはずだから、大事な時間を使って力を注いで頑張っていいんだ。

 

結局、その集まりの中で私のブログを紹介する機会はさすがになかったけど、若い参加者は珍しいからといって最後に全体に向けて感想を言う時間をもらった。まだまだだけど、きっと今の私に表現できる精一杯の思いを伝えられた、伝わったと、思う。

 

 

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起業の方も、なかなか思うようなスピードでは進んでないし実際に「事業を起こす」ことができてしかも功績が残るのなんていつになるかわからない、、けど、今私たちが週に何回も会ってミーティングして頭をフル回転させて脳内を言語化し続けてる時間は絶対に無駄じゃないんだ。いや、「無駄じゃない」なんて消極的な書き方じゃなく、私たちそれぞれの一部になってる、新しい部分を形作り続けてる、の方が合ってるね。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ大学4年生。卒業はまだもう少し先だけど、将来に漠然と不安を感じて身動きが取りづらくなるのはほどほどにして、今頑張ってるたくさんのやりたいことたちが少しずつ私を形作ってると信じて、行き当たりばったりでがんばろう^_^


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今年の春もたくさんいいことがありますように

 

 

 

 

右利きで何が悪いの?

再びジェンダーについてつらつら書くよ。

 

最近、男性が書いたジェンダー関連の漫画を読んだり、メンズメイクについての番組を観たり、女性同士のカップルYouTuberさんの質問コーナー動画を観たり、性別とかセクシャリティとかぼんやり考える機会が何回かあって、、

いやっもう「何回か」どころじゃなく毎日何を観てどこに行っても「あ、、」と頭がぐるぐるするきっかけが無限に溢れてる

 

 

「勉強したり何かを学んだりするのは自分の周りの世界の解像度が上がることだ」ってどこかの誰かが言ってるのを見たことがあるけど、本当にその通りだと毎日実感してる

少し前に友達が「前に会った人がね、サラッと『パートナーが、、』って話し始めてさ、すごくない?感動しちゃった」って話してくれた。その一瞬の説明だけで、友達が何をどうすごいと感じたのか理解できたし私も同じように「意識的に正しい言葉を使える人って実在してるんだな、すごいな」って感じた

 ちゃんと学んだことのなかった昔の私なら、「彼氏」の代わりに「パートナー」とか「恋人」と言える人の教養深さに気づくことはなかっただろうな。「パートナー」って言葉を使ってわざわざ気配りしてくれたその人に、普通に「彼氏ってさ~」と返してしまってたかもしれないな

そういう言葉遣いに気を付けてる人は同じように他人の言葉遣いにもセンサーを持ってて、それが鋭くて攻撃的なものじゃなかったとしても「なーんだ、そっち側か」と失望することがたくさんあるってことも

 

 

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私は、ジェンダー学と呼ばれる分野の知識を身に付けて考えを深めて、自分の周りの世界がより鮮明に見えるようになったと思う。そう思うから、今の私に見えてるものがまだ見えてない人のためにも、世界がもっと鮮明に見えるようになって「解像度が低い頃の世界の見え方」を忘れかけてしまうであろう未来の私にためにも、言葉にして残しておくのはきっと有益なはず。そう思い込んで今日も頭の中をひけらかす。

 

 

 

 

もう去年のことだけど、ボケっとしながら朝ごはんを食べてたら、私の知ってる話題がニュースで取り上げられててハッとして目が覚めた。ある企業の公式Twitterアカウントで一従業員が自分の配偶者のことを「嫁」と呼んでツイートしたことで、批判殺到して謝罪に追い込まれたらしい、、という内容。

「旦那さんに何と呼ばれてますか?」「嫁と呼ばれることに嫌悪感はありますか?」そういう部類のインタビュー映像が流れて、スタジオでコメンテーターたちが持論を繰り広げる。「いやぁ、実際は嫁と呼ばれることに憧れを抱いてる人もいますしね」「家族の問題ですし外野が口を出すのは違うんじゃないかと思いますけどね」

もう、唖然すぎて絶望すぎて、開いた口が塞がらないとはこのことか、だった。どこから反論して、説明すればいい?

 

嫁呼びは嫌だと回答した人が少数派だったことは問題ではなくて、それよりもジェンダー観が遅れすぎてる国での情報発信として適切だったと本当に思ってるのかな?テレビの放送会社なんて小さい企業じゃなかろうに、誰一人として気を付けようとしなかったのかな?ある程度の正しいジェンダー観を持ってる人って、そんなに少ないのかな?

Twitter上ではあったけど、現状に違和感を覚える人たちの小さな声が積み重なって、ツイート主が謝罪するところまで追求できたのに。このヤバイ現状を少しずつでも変化させていこうと、「なぜ嫁呼び文化はなくすべきなのか」を必死に説明してたたくさんの人たちの動きをリアルタイムで見てたから、「家族の問題ですし」で切り捨てたメディアやその中の人たちの知能の低さと軽率さには本当に呆れたし腹が立った。人の前に立って発言する立場としての「価値観を更新し続ける」ことへの責任感のなさ、本当にすごい

 

チャンネルを変えれば、「将来性別が変わることもあるし男でも女でも通用する名前にしよう」なんて台詞が出てくるドラマ(逃げ恥)が作られてちゃんと放送されるくらい時代は進んでて、希望を持てるときもあるのに。(それにしても逃げ恥の新春スペシャルは本当に拍手喝采だったね。いつか制作者さんに会いたい。)

 

 

 

 

冒頭で書いた女性同士のカップルYouTuberさんの動画でも、いい意味での衝撃があった。その人たちの動画はいくつか観たことがあったんだけど、本当にのんびりと日常を映してるタイプのチャンネルで、たまに観るとただただ可愛くて微笑ましくて癒される。

私にとって衝撃的だったその動画は、事前にインスタで募集した質問に答えますよ~っていう内容だったけど、その人たちは「セクシャリティのことはよく知らないしわかりません」ってハッキリ言ったんだよ。

あぁ、当たり前になるってこういうことなのかなと思った。今までの私は、同性カップルは皆LGBTQ+を取り巻く様々な課題に関心が高くてsexual minorityの権利のために活動してるとなんとなく思い込んでた。よく考えてみればそんなわけないのに。彼女たちは活動家としてじゃなくて、他のカップルYouTuberと同じようにただただ幸せな日常を記録するためにYouTubeを使ってるだけだったんだ。

何かを誤魔化そうとしたり言い逃れしようとしたわけじゃなくて、「まぁ私は前に男性とお付き合いしてたこともあるし、でも今の好きな人は〇〇ちゃん(女性)だし、ってだけです。何かに当てはめようとすれば私はバイセクシャルってことになるのかもしれないけど」ってスラスラ~っと話すその人の言葉を聞いて、ものすごく腑に落ちた。この人にとってはセクシャリティなんて別になんでもいいんだ。

 

みんなが見識高いわけではなくて、本人にとっては「自分のsexual orientationは当たり前だから特別学ぶ必要もない」と思ってしまえるくらい、存在が当たり前にならなきゃいけないんだ。自分が右利きであることについて私が現段階では特に学ぶ必要を感じてなくて、「右利きだとこういう権利が受けられないから注意しなきゃ」「初対面の人に右利きだってバレると引かれるかもしれないからカミングアウトするタイミングは気をつけなきゃ」なんて考えなくていいみたいに、当たり前に持ってる自分の特性で不利益を被ったり危険な目に遭ったりしなくて済むように、、。それが目指すべきことだったんだ。

 


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小さいことだらけかもしれないけど、昔より少し解像度が上がった今の私は、バイトでお客さんに飲み物を出す時に生ビールは当然のように男性側に置くんじゃなくて真ん中に置いたりお客さんに聞いたりできる。「小学生以下の子には、男の子には青の、女の子にはピンクのスプーンを(他の色のもあるけどできれば優先的に)用意してね」と教えられたけど、特に大きな目的はなさそうだったので他の白や黄緑のスプーンを優先的に使うようにしてしまえる。初めて来たお客さんが日本人顔じゃないような気がしてもいきなり英語で話すんじゃなくてまずは日本語で話してみることができる。

今日も実はバイト先で酔っ払った80歳くらいのじいさんに嫌な絡み方をされて、ハッキリと「黙って食え」と言えるほど強気にはなれなかったけど、それでもその時の状況が異常だとはわかった。昔の私なら、愛想良く振る舞うことしか頭になかっただろうけど、解像度が上がった今の私は「こんな風に一方的に嫌な思いをさせられる理由なんてない。次また嫌なこと言われたら何て言い返そうかな」と試行錯誤しながら心の中でちゃんと自信を持って立っていられた。

 

 

今の私の周りの世界は、異常だ。

自分のパートナーがたまたま同性だっただけで一緒に部屋を借りられないのも、女として生まれただけで将来の可能性が狭まるのも、地震や自然災害が起きる度にヘイトが沸きまくるのも、権力者の女性蔑視を軽視するのも、全部ちゃんと異常だ。私や一部の人たちがセンシティブになりすぎてるわけでは決してない。見過ごすことになれちゃダメだ

 

 

問題を軽視することがカッコいいかのような風潮も、「みんな怒りすぎだよ、落ち着こうよ」と言い出す偽平和主義者の存在も、当たり前におかしいという認識が広がって当たり前になりますように。

 

 


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また近いうちに書きます。

読んでくれてありがとう^_^

おやすみ

 

 

 

 

 

おせっかい

やっほ~もう1月も終わるけど、新年あけましたね。今さらにもほどがあると思うので挨拶は控えます。笑

 

たぶん人生で初めてひとりぼっちで年末年始を過ごしたけど、年末のあの感じっていいよね

何もかも「今年最後だ!」って思えばもうひと踏ん張りできそうな勢いをくれるし、上手くできなかったことがあっても「まぁ来年から心機一転頑張ればいっか!」と思わせてくれるすごい浄化作用がある。

 

 

 

今日は懐かしい話がちょこちょこ出てきそうなので、懐かしい写真をたくさん添えておきます。

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なぜだか2018年の春休みの写真が多いのはやっぱり、大切な思い出がたくさんできた時間だったからなのかな

浪人した結果秋田に行くことになって故郷を離れるまでの短い間、毎日、本当に毎日誰かしらと遊んだ。1ヵ月のうちにあんなにも動き回ること、今後もきっとないだろうな。笑

 

 

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あの時も、今も、私の周りの人たちはいつも私に何かをしてくれてた。

世話を焼いてくれたり、心配して連絡をくれたり、私が欲しがってたお菓子を覚えてプレゼントしてくれたり、今度一緒にここに行こうと約束してくれたり、

私の周りには、私が何をしてても変わらずに愛とか気遣いを与えてくれる人がたくさんいた。

 

情けないけど、最近やっと気づいたんだよ。相手より先に自分から何かを与えることのすごさ、難しさ。

今の私はきっと、遠くから相手を観察して、時には声をかけないことを選ぶこともある、そういう部類の優しさしか持ってない、たぶん。よく考えたら、中高生時代に仲良しだった子との関係も、だいたいは相手からの連絡がないと会うことにもならないし。相手がどんなレスポンスをくれるかな~っていろんなパターンを想像して、そのまま時間が経って終わってることも多々あるし。

 

 

私が去年鬱で苦しんでたとき定期的に連絡をくれてた親友は特に、自分から愛を与えられる天才だと思う。鬱のときって脳みそも心も苦しさでいっぱいだから誰かからの優しさも受け取るので精一杯だし、誰に対しても「心配してくれてありがとう」もろくに言えてなかったような気がする。そういう、相手からしたら「与えてもお返しは期待できない」状況でも、ずっとずっと「大丈夫だよ」って伝え続けてくれた。ちゃんとありがとうを言えてなかったかもしれないけど、心の全部が苦しさに支配されちゃって目を向けられてなかったけど、本当の本当は、毎日救われてたと思うよ。ありがとう。もう、本当に、心の底からすごい人。

 

 

 

私は私の大切な人たちに対して、同じようにできるかな。

例えば愛知で働いてる友達が、仕事のことで悩んで苦しんでるって知ったら、その子とのその瞬間の関係が薄まりつつあったとしても「私で良ければ絶対に力になるから、愛知まで飛んでくこともできるから、ギリギリになる前に連絡してね」って連絡できるかな。ちゃんと一方的になれるかな。おせっかいになれるかな。

 

 


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年末に書いたブログで「正解と間違いを自信を持って誰かに教えられる人になりたい」「そうやって、私は私の大切な人を守りたい」って書いたけど、その「正解と間違いを教える」行動の一段階前に必要なことはこれだったんだ。「自分から与えられる人」になること。

 

 

 

 

 

「先に与える」どころか受け取ってもらえてるかどうか確認する術もないけど、それでも今改めて愛を伝えたいのはやっぱり、、

 

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1月の私の誕生日の前日、私にとっても大切な、弟の親友の命日。去年の1月にもブログに書きました。

亡くなって1年経った。

私のことなんてただの友達のねぇちゃんとしか覚えてないかもしれないけど、もう会えない人だってことがわからなくなるくらい、この1年間私は事あるごとに思い出してしまったよ

 

鬱になって、心が何度も生死の境を彷徨った。死んじゃおっかな、生きようかな、諦めよっかな、ちょっとだけ頑張ろうかな。私は心の病気だったけど、そっちは身体の病気で、もう、どんだけ苦しかったんだろう

弟と一緒にお見舞いに行ったとき、いつもちゃんとありがとうって伝えてくれた。ほんとに、それがどれだけすごいことか。自分の内側に居座り続けてる痛みに支配されずに、支配されつつあったとしてもどうにか振り解こうとして、あったかい感情も見せてくれてありがとう。

 

もう会えないけど、いろんなタイミングでいろんな人があなたのことを思い浮かべてるよ。最近弟が描いたのは、あなたとサッカーしてる場面の、愛に溢れた絵だった。こうやって愛は連鎖するんだなと思ったよ。

きっと大丈夫だよ

 

 

またいつか会いたいね。

 

 


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今年もちゃんと、自分のことは自分で大切にできる人であれますように。

まだ今の私は「先に与える」ことをできる人間ではないけど、たぶん、与えてもらったものを卑下せずにちゃんと受け取って同じように返すことはできる。

だから今年もちゃんと、私のことを大切にしてくれる人に対して私も同じように大切にできますように。

 

 


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去年はこのブログが心の奥底にひたひたに染み付いてたから、重い内容もたくさんだったのに、読んでくれてありがとう

今年もよろしくね

 

 

 

 

答え合わせ

わ、もう12月31日、大晦日、、!2020年ギリギリに滑り込みで書いています。笑

 

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おわるねー、おわったねー。私にとっては「激動の一年」って言葉がわりとしっくりくるような年で、感情も本当にたくさん揺れ動いたし物理的な環境の変化も大きかった。

「成長できた一年だった!」みたいなことを簡単に言えない(言いたくない)のは、それよりも苦しみが大きすぎたからで、それってもしかしたらまだ完全には乗り越え切れてない証拠なのかもしれないけど、それでも今私の中にある傷跡も苦しい記憶も少しは大切に思えてるよ。

 

 

鬱で苦しかった頃、「早く回復して元に戻りたい」「こんなにも落ち込みやすくはなかった、少し前の自分に早く戻りたい」って何度も思った。

オンライン授業中に「ディスカッション」とか「ブレイクアウト」とかいう言葉が先生から聞こえてくるたびにいなくなりたくなる自分が嫌で、もう少し踏ん張って頑張れてた頃の自分が恋しかった。家族とか友達とか周りの人からの言葉にものすごくセンシティブで感情がぐわんぐわん揺れてた自分が嫌だった、だっていつでも誰に対してでも「感情を乱してくるものがないか」警戒してなきゃいけないから。

 

でもね、やっと「今日は楽しかった」と思える日が増えてきてわかったよ。

回復するっていうのは、鬱を経験する前の元の自分に戻ることではなくて、苦しかった記憶も私の大事な一部として取り込んで私自身が認めてあげられるようになることだ。

足を擦りむいたら少しづつかさぶたができて、それがはがれると新しい皮膚ができてるのとおんなじように、今の私は、表面の傷付いた皮膚を脱いで「傷を知ってる、強くなった」層の私だ。ニキビ跡がすぐには消えないみたいに、まだ危なっかしく見えてたりもするのかもしれないけど、それでも「鬱になった経験」は私の大事な一部だよ。そう思えるようになったよ^_^

 

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今年の私が偉かったのは、自分で、自分が主人公である物語を築けたこと。

「コロナのせいで苦しんだ」「大学のいろんな変化に翻弄されて心が沈んだ」っていう感情に支配されるんじゃなくて、苦しい時の私も楽に過ごせてる時の私も、自分のことを、自分でちゃんと見ててあげられた。

苦しさと向き合うのって、その苦しみを何倍にも濃くしたり強く実感できるようにしてしまったりするけど、それでも「今日は何が辛くて涙がでたのかな」「今の私は、何を断ち切って何を大切にしたいのかな」って考え続けられた。

 

 

「苦しみを経験すると他人に優しくなれる」とか「辛い経験をあまりしてこなかった人は他人の痛みがわからない」とかよく言うけど、正直、今はまだよくわからない。鬱で変わったのはあくまでも「自分自身への接し方」だから。

来年は、周りの人への接し方にも変化を感じるようになるのかな?大切な人をちゃんと大切にできるなら嬉しいけど、でも「私は鬱をやったんだからな!」って記憶に固執しないようにしたいな。誰かに優しくできるのは、今年一年の苦しい経験だけじゃなくて、今まで約20年生きてきた中で誰かに優しくされた記憶の力もすごく大きいはずだから。

 

 

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そして、今年できた夢のひとつは、 

「正解と間違いを、責任と自信を持って誰かに教えてあげられる人になりたい」。

 

 

世の中には「もうすでに答えがでていること」が意外とたくさんあると思う。少し前まで、教育って「自分の頭で考えさせる」ことが大事で「すぐに答えを教える」のは良くないことだと思ってた。もちろん、算数のドリルを答え丸写しして終わらせることが正義だと言いたいわけじゃないけど、「自由」とか「権利」って言葉を乱用して答えを伏せておくことで未熟な誰かを危険にさらすのは絶対に間違ってるから。

 

誰がどう見ても思いっきり人種差別な情報発信をやめないDHCを、「表現の自由だから」と言って擁護する人たちは絶対に間違ってるし、

「政治に関して議論するのは対立を生みかねない」し「個人の思想は自由だから」と言って政治についての踏み込んだ教育を避け続けてきた日本の教育は絶対に改善すべきだし、

性行為の同意年齢についての法改正がされないままなのを「子供にも自分の意志で選択する権利があるでしょ」と言って良しとする人たちも絶対に間違ってる。

 

どんなリスクがあって何が大切で何に気を付けるべきか十分に教えられてない小さい子が、「君にも自由はあるからね」の一言で危険な環境に放っておかれるのは、絶対に間違ってる。

 

 

「絶対」って言葉を使うのは良くないように感じてた頃もあったけど、いろんなことを勉強してわかった。「絶対に避けるべきこと」も「絶対に改善されるべきこと」も存在してる。

日本は子供の自主性みたいなものを中途半端に気にしてしまったから、たくさんのことを「自分の頭で考えてね」とほったらかしにしてきたから、何か問題が起きたとき改善に向かうまでの道のりがものすごく長い。「そもそもなぜこれは悪なのか」から議論しなきゃいけないから、ものすごく時間がかかるし、スピードもゆっくりなまま。

 

コロナの感染が拡大して医療がひっ迫しても医療従事者への危険手当もなく現状は変わらないままだけど、きっとそれは「働いたらちゃんとそれに見合った額のお給料をもらいましょう」「労働の対価として不当だった場合はちゃんと抗議して払わせるべき」って考えを絶対的なものとして教わった人が少ないから。だから「辛くても働き続ける美徳」みたいなのが横行して、「医療従事者の皆さんありがとう!」で済まされ続けてる。医療現場以外でもたくさんの職種の人たちが、国が補填すべき苦しさを背負って同じようにしんどい思いをし続けてるんだよね、、

 

 

「苦しみを経験すると他人に優しくなれる」のかどうかはまだわからないけど、私は「答えを教える」ことで大切な人たちを守りたい。理不尽な何かに苦しんでる友達がいたら、「それはちゃんと間違ってるから、あなたは正しいって私が保証するから大丈夫だよ」と言える人でありたい。

今年一年間ジェンダーとか性についてたくさん勉強した今の私はきっと、万が一自分の弟や妹や親友が性犯罪に遭ってしまったら、その時その子がどんな服装で出かけてたとしても被害者側に非はないって約束してあげられる。セカンドレイプにまで遭って苦しみが何倍にも深くなってしまうことがないように、私の頭の中にある知識と私が知ってる「答え」で、その子を精一杯守ることができる。

同じようにもっといろんなことを勉強して、何が正しくて何が間違ってるのかなるべく多く知りたいと思う。それが私にできることであり、私のしたいことだから。

 

 

 

 

明日からは少しづつ、自分の学びを他の人にも還元して、

また1年の終わりが来る頃には大切な人を守れた私になれてるといいな

 

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そして、ブログも!来年も楽しく続けられるといいな(noteへの移行説はなくなりました笑)

今年も見守っててくれてありがとう

 

 

よいお年を(^^)

 

 

 

 

 

親でも、恋人でも、友達でもない

今日は、私が今一番熱意を燃やして勉強していることについて、、!

(登場人物たちのプライバシーのために言っておきますが、彼らに特別何かあったわけではありません。単に私の身近にいる男性であり、大切な存在だから、守りたいから、一番伝えたい相手だから書いたよ。)

 

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弟よ、私が実家を出てもう3年が経とうとしてるけど、最近どうですか?元気にしてますか?

いつだか実家にいたとき、「家庭科の教科書で読んだんやけど、自立っていうのは一人でなんでもできることじゃなくて、誰かにちゃんと頼れるようになるってことなんやって」って教えてくれたこと、覚えてるよ。家族のことも二人で話したりしたね。毎日英単語とか歴史上の人物名とかいろんなことをパンクしそうなくらい詰め込みながら、その中でもちゃんと心に落とし込んで勉強してたんだね。

私が今頑張ってる勉強は、勉強すればするほど弟であるあなたに教えたくてたまらなくなるものだよ、なるべく早いうちに、ちゃんと上手く教えられるようになりたくて、必死に勉強してるよ。

 

 

 

弟よ、今付き合ってる人がいるのかどうかは知らないけど、いてもいなくてもどっちでもいいし、それが女の子でも、男の子の心を持った女の子でも、男の子でもなんでもいい。

そろそろセーターを買う季節かもしれないけど、青でもピンクでもグレーでも赤でも何色でも何柄でもいい。

何色の服を着てても、どういう人を好きになっても、別に何も変わらない大事な弟だよ

 

私が勉強してるのは、そういうこと。

 

たぶん、あなたの近くにいる大人たちは毎日いろんな言葉で攻撃してくるだろうけど、それはちゃんと間違ってるから、大丈夫だよ。

しばらく恋バナをしてなかったり男友達と二人で遊んだりすると「ゲイなんじゃね?」って笑われたり、大得意なお絵描きをしてると「男らしくない」からって外で遊ぶように言われたり、そういうことがたくさん起きる毎日かもしれないけど

私はあなたの絵が好きだし、サッカーを頑張ってるのも好きだけどそれは「男らしい」からじゃなくて 自分で自分の輝ける場所を見つけて必死に周りを動かしてるのがカッコよくて尊敬するからだよ。

 

 

例えば今好きな子がいるとしたら、どんな風に、その子のどんなところが好き?

 

 

 

私はちゃんと、私を私として愛してくれる人に出会ったよ。私が男の子っぽい言葉遣いで話しても、男みたいに女性アイドルにキャーキャー言ってても、女の子らしくお化粧を頑張っても、女の子にありがちな方向音痴を発動しても、全部私のパーソナリティーとして捉えるだけでいてくれる人だよ

「女の子はやっぱり○○なんだね」なんて言われたことはないし、喧嘩しても「ほらみろ女はすぐヒステリックになる」とは言わない

乃木坂ちゃんを観て一緒にギャアギャア言える楽しい相手だし、車でナビを使うのがド下手な私をなんだかんだ言いながら助手席に乗せて運転してくれるのは、彼が男の子だからじゃなくて、車が大好きだからだよ

 

 

ジェンダーとか男女格差とかそういうことを学ぶのは、難しくてカッコつけてることなんかじゃなくて、大切な人を一人の人として愛すために大事な知識を得ることだよ。

 

 

 


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弟よ、もう高校生だね

まぁ6歳離れてるし恋愛の話なんて滅多にしないけど、もう、いろんなこと経験した?身内のそういう話を聞くのは恥ずかしいだろうから聞きたいとは思わないけど、どうか、どうか、大切な人を大切に扱える人であってね。

今のところあなたは男性であって、それがどういうことなのか、少しは理解した上で、経験してね。

怖がらせるつもりはないけど、万が一はいくらでもあるんだよ。もし万が一、あなたが一人の男性として誰か女性を妊娠させてしまうようなことがあれば、残念ながら日本は環境が悪すぎるから、圧倒的に大きなダメージを受けるのは女の子だよ。きっとうちの両親も土下座することになるけど、そんなのとは比べ物にならないくらい、女の子の一生を変えることになるんだよ。

そういう可能性も含めて、あなたが男性として生きてるってことは、無意識のうちに危機を免れて安全にマシな人生を送れる可能性が備えられてるってことなんだよ。

 

 

今もし好きな子がいるとして、その子が女の子だとして、

もしかしたらあなたの好きなその子は、今日も通学電車で知らない大人の男から舐めるように身体を見られて気持ち悪い思いをしたかもしれない。駅の階段をのぼるとき、後ろからスカートの中を盗撮されてないかヒヤヒヤして、何回も後ろを振り返りながら登校してたのかもしれない。

悲しいけど、女の見た目をしてるだけで、あり得ないくらい怖い思いをしながら生きてるよ

 

 

例えばあなたの大切な子が、部活でエースだったら?テレビや雑誌からも取材されるような、県内でも有名なスーパー選手だったら?ワクワクして確認したその記事の見出しが、『高校生らしからぬ巨乳に釘付け!最強テニスプレイヤー』だったら?

性的に消費されるっていうのは、こういうことを言うんだよ。こちら側は性を提供したつもりなんて一切ないのに、女の見た目をしているだけで、勝手に消費されたり、するんだよ。

 

そしてきっと、ネットに溢れてるそういう記事を、娘がいる男の人も高校の先生も、友達の親も、その友達の友達も読んでるかもしれないってことだよ

そういう見出しに目が止まって、画面をクリックしたり雑誌を買ったりする人が、普通に、普通にいて、それは知り合いの知り合いかもしれないんだよね。勝手にコンテンツにされてる女の子は、自分の大切な人なのに。

 

 

 

もちろん、まずは自分のことを大事にしてほしいと思ってるよ。男の子も当たり前に性被害に遭うし、もしそういうことがあった場合はきっと男性は女性よりも助けを求めにくいから。

ただ、男性には「無意識のうちに危機を免れて安全にマシな人生を送れる可能性が備えられてる」って書いたのは、毎日当たり前のようにあり得ないくらい怖い思いをしてる女性たちを、怖がらせる存在にはならないでほしいから。そしてそれは、しっかり意識しないとできないことだから。

何十年か生きてきて、「男たちに消費される女たち」っていう構造がきっと染み付いてしまっているから。

 

 

だからきっと、いきなりは難しいよね。わかるよ。少しずつでいいよ、少しずつ、違和感を覚えられるようになってね。クラスメイトの男の子たちが当たり前のようにクラスの女子の胸の大きさの話で盛り上がってたら、なんかおかしいって思える人でいてね。そこで「やめろよみんな!性的搾取だよ!」なんて言えなくていいから、大切な人ができたらその時ちゃんとその人を大切にできるように、安心して一緒にいてもらえるように、少しずつ自分以外の性別にも目を向けられるようになってね。

 

 

 

私もつい最近まで、きちんと勉強できてなくてきっと何回も傍観者になってしまってたこと、ごめんね。

何十年も一緒に暮らしてたのに、テレビを見て、ドラマを見て、「これは本当はおかしいんだよ」って言ってあげられなくてごめんね。

 

 

 

大切な人を大事にするのは、自分を大事にするってことだよ。大好きな人に優しくできてる自分のことは、なんか今までより少し良く思えるよ。

 


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弟よ、あなたは勉強もある程度得意で周りを見れるタイプだから、昔の私と同じように「差別はよくない」「悪口はよくない」みたいな常識で多くのことをスルスルっと乗り越えられちゃったりもするんだろうけど、だけどね、それじゃ全然足りない。自分を守って大切な人も守るために、ちゃんと、ちゃんと勉強して。

勉強すれば、楽になるよ。親からの言葉へのモヤモヤとか、大人の行動への不信感とか、そういうものを自分の言葉で言語化できるようになると、すごく楽になるよ。

全く家事をしない父親に漠然と感じてたイライラが、「あぁ、この世代の人たちはこんな風に不十分な教育を受けてきて、今もその教育の犠牲になったままなんだな」に変わるよ。

 

 

あなたがいつか教えてくれた「自立」って言葉の意味が、いま一人で生活してる私の支えになってるように、勉強して、誰かのことを救ったり支えたりできるはずだよ。

 

がんばれ!私も、がんばるよ!

 

 

 

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