日々いろんなことを考え込みすぎてしまう私の、誰かに話したいけど話せない、言葉の保管場所

私である意味

こんばんは~。個展でバタバタしているうちに8月が終わり、ついに新学期が始まってしまいました、、大学4年生、ぼちぼちがんばってます。

 

 

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全授業英語で行う私の大学では、英語には不自由しない学生がほとんど。そういう環境で過ごしてきてもうすぐ4年が経ちます。

 

 

中学生の頃から、英語のテストは毎回1位~5位あたりに入る点数だったし「私は英語が得意~♪」って自負してた。

だからその「得意なこと」を極めようと英語を学べる大学に進むのはごく自然のことだったはずなのに、実際「英語なんてできて当たり前」な大学に入って私なんかよりも英語を使いこなしてる人だらけな環境に身を置くことになると、案の定プライドが傷付いて、というか自信をなくして。

 

個性や強みを極めようとしたら同じような強みを持ってる人たちに囲まれることになるなんて、なんて残酷なんだと思っていました。ライバルに囲まれると燃え上がって頑張れるタイプの人には適したシステムなのかもしれないけど、唯一無二になりたくて仕方なかった私には「希少価値が下がっていく場所」でしかなくてキツかった。

じゃあ個性ってなんなんだ?「アートで食っていきたいけど美大には行かない」みたいな、ある種アウトローで"あえて"の選択をすれば個性が手に入るのか?って、モヤモヤしてた。

 

 

 

 

 

 

 

そのモヤモヤが、個展をやって、晴れた!

"私がやる意味"を、ちゃんと感じたから。

 

 

 

だって、「まみかが開く個展だから」と言って来てくれた友人がいたから。「まみかさんがいつもインスタに絵を載せてるの見てたから」と言ってきてくれた子がいたから。

今回の個展に来場してもらったかどうかだけじゃなくて、ジェンダーの勉強を頑張ってるのが私であるのも、意味があるって思う。誰かにとっての「一番身近でジェンダーに詳しい人」であることがとっても大事で、だから意味があるって思う。

 

例えば私の家族は、自分の娘/姉がジェンダー云々言っているのをなんとなく耳にしたことで、ニュースでジェンダーについて扱われてたら今までより少し耳を傾けるようになったかもしれない。ニュースで知らない大学教授が解説してるだけじゃ気に留めなかったかもしれない話題を、"気になるもの"にできてる(かも)。だとしたら、私がジェンダーを勉強してるのはすごく意味のあることだと思える。

私も、昔の友人がよくSNSで環境問題について言及してるのを見てるから、通販で買ったものがどえらい量の梱包材が詰められて送られてきたとき、ちゃんとハテナが浮かんだ。環境問題は正直まだ不勉強だけど、"その子が気にしてる課題だから"、「たぶん大事なことなんだろうなぁ」となんとなく思う。一個人としてこの不勉強な状態のままでいるのはとてつもなく無責任だと自覚してるけど、発信する側としてはそういう影響を誰かに与えられてるのってものすごく大事ですごいことだと思う。私の友人、すごい。笑

 

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個人ありきで何かを信頼してもらったり何かが知れ渡っていくの、とても理想的で素晴らしいって思いました。

 

私はたまたま、ジェンダー学を深く学べる大学に進学したわけではなかったから、ジェンダーについては「同じような興味・強みを持ってる人たちに日常的に囲まれてる」という状況ではなかったけど、広く日本中を見渡せば性差について学んでる人はいくらでもいる。だから、ジェンダー学に興味があって少し知識があるくらいじゃなんの個性にもならない。

と、思ってたけど。

どれだけ母数が大きくて希少価値が低くても、"私が"ジェンダーを勉強している意味はちゃんとあるって思えるようになった。「発信者がまみかだから」と性差について考えるきっかけにしてくれる人がいるんだし、「まみかが伝えたがってる内容だから」と前のめりに聞いてくれる人がいるんだから。

 

 

 

 

唯一無二のスキルを身に付けて、奇想天外な起業アイデアを思いついて、学生のうちに起業して、将来はその会社を大きく大きくしてテレビとかに出るくらい有名にならないと、個性って手に入らないと思ってた。

唯一無二にならなきゃ、とずっと「私にしかできないこと」を必死に探してきたけど、私にしかできないことは、私の友達、親、きょうだい、恋人、職場の人、先生に伝えることだ。「ジェンダーといえば」と聞かれたり考えたりした時に大城舞未加のことを思い浮かべてくれる人に対して何か大切なことを伝えるのが、私にしかできないこと。

いつか大城舞未加を知ってくれてる人が増えたら、その「私にしかできないこと」は膨らんで、もっと大きな影響を与えられるようになるのかもしれないしね。と、そういう、シンプルなことだ。

 

 

 

大城舞未加は元々この世に一人しかいないのに唯一無二になろうとしてムズムズしてたの、的外れなムズムズだったね!笑

 

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「まみかだから」がブランディングになって、「大城舞未加」という名前で人を集めたりお金を稼いだりできるようになるのが、私の夢です。

たぶんつまり、フリーランス!笑

 

 

 

 

 

 

最後に、秋田魁新報さんにてご掲載いただいた私の個展についての記事を、どどん!インスタにはリンクを貼れないのでこちらで。

性差別を考えよう、教養大生が絵と文章で表現 アトリオン|秋田魁新報電子版 (sakigake.jp)

(会員登録しないと全文は読めないかも。)

秋田の半数以上の世帯でとられている新聞なんですよ!もうとてつもなく大きい記事にしていただいちゃって、恐れおののいています!!

 

たぶん今月中くらいにWeb上で公開される予定の記事が他にもいくつかあるので、またシェアしますね!

まみかファンは全部読んでくださいよ!!

 

 

ではまた。

 

 

 

個展にご来場の皆さまへ

さて、本日8月15日よりいよいよ「アートで見る性差別社会~大切な二人へ~」展が始まりました!


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ご入場の際にお渡ししたパンフレット裏面を見て初めてこのブログを開いてくださる方のために、本記事では「私の脳内をさらに覗いてもらえるのでは?」と思うオススメ記事2つを簡単にまとめました。

夜寝る前になんとなく寂しく感じた時や毎日疲れてなんとなく苦しい時、まぁいっかと思ってもらえれば嬉しいです。私が考え込みすぎてて笑えるかもしれません。ぜひ読んでみてくださいね(^^)

 

 1つめ

今回の個展を考えるうえでずっと私の頭の中心にあった、大事な記事です。

きょうだいって、不思議な存在でした。たいして深い話をしたりしたわけじゃないのに、なんとなくわかる気がするし、なんとなく大事で。

展示を観て、「なんで作者はジェンダーについて伝える相手として弟・妹を選んだんだろう」と疑問に思った方、深いところまでわかってもらえるのではと思います。ぜひ。

 

 

2つめ 

これは勢いで書いた何気ない記事ですが、わりと私の本性が表れているように思います。「私は応援されることが大好きなんじゃ、、」と正直に語っているので。笑

個展の準備期間中、本当にたくさんの人から「すごいね!がんばれ!」という言葉をいただきました。やりたいことに時間を使えてるのもやりたいことで応援してもらえてるのも嬉しくて、毎日ほんとうに楽しくて、終わってほしくなかった。

私のことを「この人を応援したい」と思ってもらうこと、今回の個展の大きな目標の一つです!入場料無料だけど「応援金」という形でお金をお支払いしていただくことができるようにした理由も、より深く理解していただけるのではと思います。ぜひ。

 

 

 

 

 

最後に、時間を作って会場に足を運んでくださったこと、本当にありがとうございました。展示を観て、何か感じることはあったでしょうか?4日間無事に終えることができたらその時また、ご来場の皆さま・応援してくださっていた方々へ向けてブログを更新したいと思います。

それまで、過去の記事を読んだり読まなかったり、展示の感想を誰かに伝えてみたり自分の心にしまっておいたりして、気長にお待ちください。

 

短い記事でしたが、今日はこの辺で。では、また。

 

 

大学4年生のキャンバス

去年くらいまで、ふと「私っていったい何になりたいんだっけ」と我に返って落ち込むことがよくあった。

元々、「面白い!」と思ったものにはすぐハマりにいく性格だったから、いろんなものをわりと深いところまでかじって、「でもこれで生きていきたいわけではないな」となるのを繰り返してた。

どれも別に、浅い感情ではなかった。

というか、私は浅いところで止まれるタイプではなかった、が合ってるかな。一度関わったら深くまで知らないと気持ち悪く感じてしまうので。

 

浪人して大学に受かったときは、今でもあの頃の自分を尊敬するくらい本当に自己分析を頑張ってた。毎日過去問を解いたら正答率の変化を確認して、自分はどんな風に間違うパターンが多いのか分析して、今の自分の精神状態をしっかり記録して。だから大学に入ってしばらくは、サークルの自己紹介で得意なことを聞かれたら「自己分析」と答えていたし、高校生に向けて自己分析を教える機会もあった。

あの時は、「私は自己分析で起業するんか?いや、、就活支援的な事業がしたいわけではないな」のモヤモヤがずっと一緒にいた。

 

大学での最初の2年間は、学生団体(サークル)の活動を本当にめっちゃ頑張った。秋田県の高校生たちにそれぞれ自分の好きなことでプロジェクトをやってもらう活動。毎週末高校生に会って、それこそ一緒に自己分析をしたり、課題解決しつつ高校生自身のやりたいことも同時に叶える方法を一緒に探ったり、楽しかった(プラス激務だった)。

あの頃は、成長していく高校生たちを見てるのも教育について考えるのも楽しくて仕方なくて、だけど学校の先生になりたいかと聞かれるとそうではなくて、、

 

 

「点と点が繋がって線になる」なんて、信じられなかった。点ばっかりが増えていく自分が少し情けなく思えて、でも焦れば焦るほど何事も「将来これで食べていきたいか?」って自問自答して切り捨てた。

でも今になって少し思うのは、たったひとつの経験からそれで将来を決められるかどうか考えるなんて、点と点を結ぶどころか一つの点を無理矢理引き伸ばして直線にしようとしてただけだったなということ。

 

 

それに、私が学生団体の活動で得た点は「教育」っていうシンプルなひとつだけじゃないはずだった。

人の成長を見るのが好き。「人」は高校生じゃなくてもいい。チームのメンバーが成長する様子も、同じように胸がソワソワする。「成長」っていうのは、何かを経験したあとでそれがどんな経験だったか言語化できるようになることを言うんだと思った。そして私は、その「言語化」を手伝うのが好き。高校生やチームメンバーが発した言葉を噛み砕いて落とし込んで他の言葉にして「こういうこと?」ってするのが得意。

この全部が、私が2年間で見つけた点。

 

 

 

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別に将来が決まったわけでもない(というか迷いまくっている)大学4年生の私が、今こうやって「点と点が繋がって線になる」ことについて書く意味は、「線」って別に将来の職業が決まることを指してるわけじゃないと気付いたから。

だって今の私の中にもすでに何本か線はあると思うから。相手の言葉を噛み砕いて落とし込める特性は、浪人時代に過去問を分析しまくってた分析好き(?)な部分と繋がる。言語化が楽しいと感じるのは、今まさにこうやってブログを書いてる時も同じ。

 

 

最近ようやく、心が動くことに敏感でいいんだって思えるようになった。

「次はこういう経験を積めばこういう将来が見えるだろう」って、線を作ることばかり考えて点の種類や位置をあらかじめ決めてから計画的に経験するばっかりじゃもったいないって気付いた。

 

点は作るものでもあるけど見つけるものでもあると思う。肌のシミみたいに年月が経って見えるようになる「点予備軍」も隠れてると思うから。現に私は、「教育が楽しい」って一つの点しか得られなかったと思ってた学生団体での経験をその後も何回も思い返して現在の自分と合わせて咀嚼してたら、「私って言語化が楽しいんだ」「私ってチームビルディングにどうしても目が行ってしまうし力を注げるんだ」って気付いた。

 

私の中には無数の点があって、たぶんそのうちのいくつかが個展開催を導く線になってた。でもたぶん数年後にはその線も、もっと大きく見える紙の上で一つの点に見えるようになってるのかも、と思う。就職も、結婚も、いろんな経験を経ての最終決断っぽい大きな出来事だからその瞬間は人生のいろんな点が結ばれて線になった感覚があるのかもしれないけど、たぶん一つの点に過ぎない。

 

財布をすっからかんにして個展を開催して、何になるんだろう?大学4年生ならインターンの応募に明け暮れて然るべきであろうこの時期に、ひたすら絵を描いてる時間は、何かに繋がるのかな?ジェンダーの勉強は大好きだけど、ジェンダーでお金を稼ぐなんてできるのかな?個展が終わって抜け殻になった後の私は、ただの就活サボった人になっちゃうんじゃないかな、、?

そういう不安は、正直全くなくなってない。私のことだからやはり毎日ネガティブになりかけてるけど、普通に時間がない。悩んでる暇がない。笑

特に私みたいなほっといても考えすぎる計画好きな人間は、きっと、エイヤー!で行動に移す訓練が必要で、今のところはそれが一番の「この時期に個展を開催する意味」。今まではきっと、会場図とか作品点数とかバチバチに決めてから実行するかどうかようやく迷い始めてたけど、今回の個展は驚くほど「あ、、すいませんそれは考えてませんでした」を関係者とのミーティングなどで連発している。最初はプライドが崩壊しそうだったけど、というかたぶん一回崩壊したけど、きっとそれがよかった。

どんな線が引けそうか予想図を完成させてからじゃないと点を作り始めることすら全くできなかった私より、きっと今の方がいい。

 

 

点が良いとか線が悪いとかそういう話ではなくて、点を大量生産してる状態、最高じゃん!情けなく思う必要なかったじゃん!ということです。

大学4年生って、将来をクリアにしなきゃいけないプレッシャー(自分自身からも、周りからも)で息苦しくなることが多い時間だけど、どこかの企業に就職したり自分で起業したりするのもどっちみちただの点じゃんと思えば、心が動くことに敏感に、なんとなく良いような気がする選択肢を選べばいいや~と楽になれそうな気がします。

 

 

悩むことに息苦しさを感じてる時点で、そこに残ってる選択肢は全部、どれを選んでも大丈夫。私はもう十分悩んでる。

自分で自分を追い詰めないように、忘れないようにしたいです。

 

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とりあえず、今頑張りたいことを、がんばる!

 

 

 

 

等しくない部分

珍しくもう今月の分を書きました。

 

 

少し前に、ちょっと感動?びっくり?したことがあって。

 

最近知り合ったひとがね、私の本棚にジェンダーの本があるのを見て、「前から聞く機会逃してたんだけど、ジェンダー学ってなに?」って聞いてくれて。

本当に嬉しかった。単純に自尊心がくすぐられたんだろうとも思うけど、私の言葉を聞くことで私のことを知ろうとしてくれたのが嬉しかった。私なら「ジェンダーとは」って検索して密かに相手のことを理解したつもりになってしまうような気がして、それじゃダメだって気づかされた。 

だってネットには「生物学的な性別に対して、社会的・文化的に作られる性別」って書いてあったとしても、私はそういう辞書的な説明に加えて「自分の家庭がどんなだったか」「ジェンダー学を学んでどんなに楽になったか」を話すと思うし、相手も私の本棚にあったから聞いてくれたわけで、一般的な説明よりも私の一部としてジェンダーって何なのかを知りたがってくれてるんだと思うから。

 

あとこの人がもう一つすごかったのは、出会って間もないのに「まみちゃんってされて嫌なこととかある?」と聞いてくれたこと。
5分くらい考え込んで、「この通り私は考えすぎてしまう性格ですがそれも私には必要なことだから、気長にほっといてくれたら嬉しいかな」と伝えた。
 
あの時一旦はそう答えたけど今もまだ「されて嫌なこと」考え続けていて、相手が私のことを知ろうとして投げかけてくれる質問はこんなにも力があるんだなぁと感じてる。特に私は、誰かと交わした言葉(相手が言ったことも、自分が発した言葉も)が長く心に留まることが多いから、何度も何度も言葉を脳内で校正して何度も新しい答えが思い浮かぶ。だから結局私が一番されたくないのは「ひとつの言葉で結論付けられること」かなと思ったりして、、。
だから、「されて嫌なこと」、いつかまた忘れた頃にでもいいからもう一回聞いてほしいな。毎日たくさん考えてるから、前に答えた時とは違う言葉がきっとたくさん出てくるから。
 
相手との過去の思い出からその人の人物像を描くんじゃなくて今の相手の言葉からその人を知ろうとすること、誰かと時間を過ごすときに忘れちゃいけない大切なことだな。私は相手のことを勝手に観察して勝手に言語化しようとするクセがあるから、ちゃんと対話して、相手の言葉から理解しようとできるようになりたい。
 
 
 
 
 
 
あと私はたぶん、なんだかんだいって考え込むのが好きで、だからその考え込んでる時間を否定しないために「私を決めつけない」でいてほしいんだとわかった。一度伝えた少しの言葉で私のことを100言い表されてしまうのは、そのあとも諦め悪く考え続けてた時間を否定されてるようで、キツい。
 
 
思えば、私が自信を失わずに安心して一緒にいられたのは、私のことを知ったかぶりしない人たちばかりだった。
私の親友は、いつもちゃんと「?」をくれる人だった。「まみかって~~だよね」って言語化してくれることもよくあったけどそれは決めつけではなくて、彼の目にわたしがどんな風に映ってるのかを教えることで私に考えるきっかけをくれることだった。あの子の「?」は、きっと私への敬意だったと思う。
 
 
 
でも、何かを聞くって本当にすごく難しいんだよ。私の場合は、相手に質問をするとその人との間に優劣関係ができてしまうような感覚があるから。 「わからない」って表明するのって恥ずかしいし、なんでもわかってる方がカッコよく見えるから。
だけど、私に「?」をくれる「質問できる」側の人の方が本当は余裕があって素晴らしいって最近ようやく気付き始めてる。
 

 

私はたぶん、「素直に褒める」ができない。褒めることで相手との間にパワーバランスができてしまうような気がして、「〇〇ができるあなたはすごいね」と言うと私はその〇〇ができない人間だと自分で自分に烙印を押してしまうみたいで、怖くて難しい。

小さい頃から身に付けてしまった、優劣を付けたり自分より上か下かを判断するクセは簡単には治らなくて、実はすごく苦労してる。もしかしたらいろんな悩みの原因がそのクセにあるんじゃないかと思うくらい、深刻なのかもしれない。

 
 
 
 
 
 
対等になりたい。対等な関係ってどんなだろうって、わかりたくて、考え続けてる。
褒めるのが苦手らしい私でも、尊敬の念を伝えまくれる相手がいないわけじゃない。だけど、尊敬し合えてるイコール対等なのかな? 
対等って、お互いがお互いを上に見てることとはちょっと違う気がするんだよなぁ。だって、お互いが上目遣いで相手を見つめようとしてちゃ、一生目線は重ならないし。自分の目線で生きてたらたまたま目線の高さが重なる人と出会うしかないのかなぁ。「対等になる」んじゃなくて、元から対等なレベルじゃなきゃいけないのかなぁ。でもそれは、対等を探してるんじゃなくて自分と都合よく同じっぽいものを探してるだけなのかもしれないし。
 
、、珍しく、答えが出ていません。いつもブログを書くのは何週間も考え続けてたことに何かしらの答えが見えたときなんだけど、「対等とは?」は、もっともっと長い時間をかけてゆっくり考えてもいいことなのかもしれないね
 
 
 
番宣かい!!!となってしまいそうですが(笑)、「対等とは?」は私の個展の大きなテーマでもあります。
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(ブログではたぶん初めて言いますが8/15~18に秋田で個展を開催しまーす♡詳しくはインスタグラムへ♡)
 
 
 
 
 
 
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この絵を描いたとき、私の心にはたしかに「手を引いてるのはどっちなんだろう」って想いがあって。小指だけに注目したら右側の人が意思を持って歩く方向を決めて相手を引っ張っていそうな気もするけど、手により力が入ってるのは左側の人にも見える。
 
 
対等ってなんだろう。
 
 
 
 
 

自分で

6月は、大事件がたくさんあった。必ずしも悪い出来事ではなく、私にとってかなり大きい出来事だったから、大事件。

 

「実はあの時まみかのこと〇〇って思ってたよ」「まみかは〇〇だなとずっと思ってた」って言葉を、この短期間で、4人の人に言われた。意外な言葉もずっと言われたかった言葉もあって、ものすごくこう、なんだか報われたような気持ちになって、出かける直前でメイクバッチリだったのに目が涙でいっぱいになっちゃったりした。

 

 

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1人目は、高校1年生の時から仲良くしてくれてる友達

私がインスタに載せた近況報告的なものを見て、しばらく連絡取ってなかったのにいきなり電話をかけてきてくれて、なんかいきなり泣きながら私のことをたっくさん褒めてくれた。笑

まみかは悩みながらも、本当に毎日頑張ってる。って言ってくれた。

 

最近、私のネガティブが近くにいる人を暗い気分にさせてしまってるような気がしてちょっとだけ辛かったから、「悩みながらも」って言ってくれて、考えすぎてる時間も私には大事で、たまにネガティブに考えることも頑張るために必要だってこと、なんとなくわかって認めてもらえた気がして、つられて涙が出そうだった。とっても救われた。

 

昔から突拍子の無い変な子だったけど、まっすぐで人懐っこくて本当にすごい人だなと思って笑っちゃった。私のことをひたすら褒めてくれたけど、私はSNSとかで近況を知って「あの子頑張ってるな~」なんて思う人がいてもいきなり連絡なんてできないから、逆にその子のこと褒め返したくて仕方なかった。笑

相当心が動いたんだろうな、ほんっとうに嬉しかった。

 

 

2人目はまさかの、父親。

ちょうど去年の今頃に私が鬱で苦しんでた時のことを、「実はあの時心配してたよ」と言ってくれた。「実はあの時、まみかに話そうかなと思ってたけど話さずに終わっちゃったことがあった」と教えてくれた。文面でだったので、その「話そうと思ったけどやめたこと」の内容はまだ聞いてないけど。

親のことなんて、本当にほとんど何も知らないんだろうなと思った。だって親だから。親子という関係性の中で言えること・見えるものには限りがあって当然で、だからこそチラッと見えた親の人間性が大きな影響を持ってしまって、嫌だなぁと思ってしまうことも多いんだよね。だけど、子どもだった私に対して言わないで見せないでおいてくれたものを、私が大人になって「親子」が曖昧になっていくにつれて、見せてもらえるようになるかな。

 

 

 

 

思ったより長くなったので、3人目と4人目は秘密にしておきます。お手紙をもらったり、ミーティング中にポロっと言われたりしました。

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感情は生ものだから、思ったその時にリアルタイムでちゃんと伝えましょう、っていうのもその通りだと思う。大切な人たちに想いを伝えることを怠っちゃいけないと、私もちゃんとそう思う。

だけど逆に想いを受け取る側としては、今の私には見えてないだけでそこにあるものの存在も忘れちゃいけないな、信じ込めるようになりたいな、って痛感した。

 

自尊心とか自己肯定感とかは、こういうことのためにあるのかもと思った。いつでも誰かしらが甘い言葉を与え続けてくれるわけがないし、そんなの求めちゃいけない。でもそんな頻繁にではないけどふいに嬉しい言葉をかけてもらえることがあるのも事実で、その言葉は一瞬で生まれたものばかりじゃないはずで。日々の私の言葉とか行動を見て、なんとなく感じてくれていたことが、ある日突然形になって言語化されたりするってだけで。だからずっと潜在的に、私のことを応援して好きだと思ってくれてる人は絶対にいるはずで、、

 

まだ目に見えないけど確実にそこにあるであろうものを、信じられるようにならないと。大切な人たちが私に向けてくれる愛情を、マイナスになってしまってる私の心を埋めるために消費してちゃダメだ。信じるっていうのは、誰かからの愛を心の中で勝手に前借りするのとは違う。前借りして、実際に払われるまでせかせかしてしまうのは、消費してるのと同じだ。

私はある程度自分に自信があって自己肯定感が高い方だとは思ってたけど、すごく不安定な自信だった。周りの人が不定期に与えてくれる尊敬や愛情を自転車操業みたいに消費して、たぶん少し、依存してた。

 

自己肯定感は、独りよがりになるためじゃなくて、きっと周りの人への愛でもあるんだ。自分で自分のことを肯定して愛する力があれば、誰かが愛をくれた時きっとすごく喜べるし、ちゃんと受け取れるから。

 

 


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今月も、読んでくれてありがとう。

最近は、「時間は過去から現在に向かってじゃなくて、現在から過去に向かって流れてる」という言葉が好きです。昔あったいろんなことは、今か少し先の未来で成功することで「あの失敗のおかげ」って言えるようになるから。過去が未来を決めるんじゃなくて、未来によって過去の捉え方を決めることもできるから。

 

 

6月は大きな別れがあったけど、来月の私は、どんな感情で振り返るんだろうか。来年の私は?30歳の私は?いつか誰かと結婚する時は、「あれでよかった」って思えてるのかな。過去の自分を否定したくなくて、過去の選択を正解にしたくて必死になってしまうけど、過去の自分は過去の自分で「未来の私が幸せでありますように」と今の私のために祈ってくれてたはずだから、気負わずに、今の感情を無視せずに、ちゃんと今の自分に正直でいられるといいな。

 

私が鬱でしんどかった時、いろんなことがしんどかったけど、過去や未来を想像してしんどい部分もあったように思う。「あんなに頑張って大学に入ったのに、こんなに何も頑張れないようになってしまった」「このまま一生抜け出せなかったらどうしよう」って、辛かった。

でも今は、あの頃の私に会いに行って「今一瞬だけでも心地良く過ごせる選択をし続けていいよ」って言ってあげたいって強く思う。計画好きで几帳面だから過去や未来に対して責任を感じてしまうことがよくあるけど、もっとわがままに今だけのことを考えて最優先にしていいんだよと抱きしめてあげたかった。

 

最近は鬱について書く機会が減ってきてたけど、「今の私から見たあの頃の私」というのは今もちゃんと変わり続けてるから、これからもたまに書こうと思う。あの頃の私に似た今しんどい誰かに一瞬でも深呼吸しようと思ってもらえるかもしれないし、あの頃の私を楽にしてあげられるのは今とこれからの私だと思うから。

 

 

辛いことは無理しないで、心地良く生きるための努力を力を振り絞ってできるひとであれますように。

今月も、よく頑張りました!!!(^^)

 


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言語化は呪縛か

こんばんは~。

今月はいつにもましてゆっくり書いていたら月末ギリギリになってしまいました、自分と向き合い続けるのってものすごいパワーを使うよね、、今日はそのことについて!

 

私はいわゆる「常に脳内で反省会やってるタイプ」で、たぶん小さい頃から、自分が発した言葉を何回も脳内再生しては「〇〇って言った方が柔らかく聞こえたかな」と落ち込んだり、友達や親に言われた言葉を何度も思い出しては何重にも傷付いたりして、

自分のそういう部分はクヨクヨしてて嫌だなと思いつつ、実際そうやって反省会してる時間が心地良かったりもしたのかもとは思いつつ。

 

 

最近ようやく『これからの男の子たちへ』を読み終わり、もう、脳内のものすごいアップデートが行われたんだけど、数ある学びの中でも一番面白かったのは男の子の言語化能力について。

(女性の弁護士の太田啓子さんという方が、男の子の育児をする中で日々感じる問題意識を様々な分野の専門家たちとの対談を交えながら解説しています。「息子を加害者にしないために」という目線で語られていて、とても共感しやすくて読みやすいです。ジェンダー学の専門的な言葉もちょくちょく出てくるけど、これから勉強していきたい人にとっては良い頻度かと。とってもオススメ!)

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子どもが泣きそうになった時に親が「痛かったね」「悲しかったね」と先に言ってしまうのは子どもが自分の力で感情を言語化する機会を奪ってしまうから問題だ、っていう問題提起があってね、

そうやって幼少期から言語化の機会を奪われたりして、自分の感情や状況を言葉で説明する訓練を十分にできないまま大人になってしまうのは、男の子に顕著な傾向なんだって。

少し想像してみると、女性はなんとなくわかるでしょうか。「は?関係ないでしょ」と思う男性も多いでしょうか。

 

私はその「感情の言語化能力の男女差」を知って、いろんなことを思い返して、自分が常日頃から言語化に追われているような感覚があるのは私の個人的要因だけじゃなく社会的要因もあるのかと、こんなところにまで性差ってこびりついてるのかと、ぎょっとした。

ほんとうに著者の太田さんがいう通り、あらゆる分野におけるマジョリティーとマイノリティーの大きな差って、どれだけ言語化を求められるかだと思うんだよ。

 

思い返せば私の周りにも私自身にも、「女なのに〇〇」と思われてしまうことはもれなく、わかりやすい説明付きで許しをもらわなきゃいけないことが山ほどあった。

例えば小学校で男子ばかりのサッカー部に入部した唯一の女の子は、気が付けばいっつも「なんで金管とかバスケ部じゃないの?」と聞かれ、しまいには「男好きなんじゃないの?」なんていう偏見にもさらされてた。 

例えば一昔前に女性が家庭に入らず働くとなれば、どれだけの人を説得して、許しをもらう必要があっただろうか(まだまだ「一昔前」と呼べるほど状況を改善できてはいないけど)。男の人なら「なんで専業主夫にならないの?」なんて聞かれることはほとんどないのは現代でも同じ。

マジョリティーである男性は、「感情を言語化する機会を奪われる」とまではいかなくてもすでに「常識」や「普通」として社会にインストールされた生き方を、特別な説明をせずとも選べる。それが特権。

 

 

これは性差別に限った話ではなくて、人と違うことをしたり少数派な性質を持っていると常に「なんで?」と聞かれるのは男女問わずほとんどの人が経験のあることだと思う。

「単純に人と違うことで求められる言語化」と「差別構造の中で求められる言語化」の深刻さは全然違うけれど、意図せずとも下駄を履いて生きてきた男性たちが、マイノリティーってこういうことかなぁと少しでも実感できるように、他の人との差異を説明する大変さに目を向けるのはとっても大事なことだと思うんだよ。

 

 

 

 

あとね、みんなと違うって素晴らしいことだ、それが強みだよ、と大好きなテイラースウィフトも言ってたし元々なんとなくその価値観は持ってたけど、ほんとうだったんだ。

私は女性っていうマイノリティー要素だけじゃなく、鬱になった経験とか、必ずしもポジティブには捉えられない弱い部分がいくつかあるけど、それでいいし、それがいいんだ、弱いって強いんだ。私はきっと弱い部分があるおかげで自分の感情にとことん向き合って言語化できるし、感情に訴えかけて物事を動かすのも得意なんだ

 

決して、性差別構造がこのままでいいってことじゃない。ジェンダー学は、弱者が弱者のまま尊重されるための学問だから。女性全員に重労働をさせろだとか外見に気を遣う女性を排除しようだとかそういう考えではなく、可愛くありたい人は可愛くていいしかっこよくありたい人はかっこよくていいはずだから。

男性(マジョリティー)に比べて女性(マイノリティー)の方が言語化を要される機会が多く、結果的に感情の言語化能力が上がることが多い。結果自体の受け取り方は人それぞれで、私の場合は言語化能力が付いて嬉しいような気もするけど、その過程でマイノリティーが受け続けてきた苦しみを「結果オーライ!」で終わらせちゃいけない。

深刻な貧困問題を抱える国の人たちを「それなのになぜか幸福度が高い!」「幸せはお金じゃないんですね」「この状況だからこそ小さな幸せを大切にできるのかも」と取り上げるのは簡単だけど、満足に食べられない現状を「幸せを噛み締めるためのスパイス」にして片付けちゃいけない、それと同じだ。

 


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弱いって強い。私はマイノリティーだからこそ、いろんなことを言葉にして伝えられる。けど将来自分の子どもには、なんでも説明しなきゃ理解や権利を得られないようなそんな苦しみは背負ってほしくない、そう思うから、ちゃんと変えていかなきゃいけないよね

 

 

 

脳内反省会は、変わらず私の心地良い時間だけど、でも同時に差別構造から無意識に受けた影響だったのかもしれない。だとしたら言語化は呪縛だけど、大切な人に自分の脳内を言葉にして伝えるのは愛だとも思う。自分と相手の間にどんな違いや差があるのか言葉にして向き合うのは、きっと愛だと思うし、私はたぶん、そういう愛し方しか知らない。絵を描くのもブログを書くのも大切な友人や恋人にお手紙を書くのも大切な言語化だから、言語化は呪縛かもしれないけど、きっとちゃんと愛でもある。

今日もたっぷり 言語化した^_^

 

おやすみ

 

 

 

 

普遍的で、基本的なこと

ちゃんと1ヶ月ぶり。毎日脳内をぐるぐるしてるものを、誰かに見られる場所で月に1回は言葉にして外に出してみる。それがとても心地良いような、苦しいような。

どうしようもない無力感を覚えた時ここに来れば自分が生きてた証を見せてもらえるから、自分のために自分の脳みそを型取って、しまっておく。

 


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 おはよう~。ついに新学期始まったー。まさかこんなにもコロナが長引くなんて、1年後もオンライン授業のままだなんて、去年の今頃は思ってなかったでしょう。

 

 

なんとなーく抽象的に理解してたものの現実の姿を無理矢理鷲掴みさせられて見せつけられた1年だった。

大学生になる少し前くらいから「日本政府ってダメダメなんだろうな」とは理解し始めてたけど、自分自身がもろに不利益を被って、認識せずにはいられないくらいの危険にさらされたのは初めてだったと思う。

実家で母親ばかりが家事をしてくれていることにずっと違和感はあったけど、同じように私も一人の女性として「家事ができること」を期待される場面に遭遇したのも初めてだった。

いろんなことが、現実世界で、ちゃんと自分の身に起きてしまった。それは私だけじゃないはず。そういう意味で衝撃の強い期間が続いてるけど、強い衝撃が何度も続くとその痛みに慣れてきてしまう人もいるのは当然で、だからこんなにひどい現実を突きつけられてもいまだに投票率が上がらなかったりするんだろうと思う。毎日毎日ハンマーで殴られ続けたら、殴られているという事実から逃げて、無視して、愛のムチだと思いたくなることもある。

 

 

ジェンダーの分野で問題とされていることもほとんどがそうなんだと思う。女性より男性の方が優れているという認識は、知らない間に私たちの潜在意識に刷り込まれてこびりついて、少しの違和感くらいじゃなかなか逃れられない。かけっこで女の子に負けるとなぜか信じられないくらい悔しく感じてしまう男の子も、他の子より強い握力をなぜか隠したくなってしまう女の子も、そういうことが日々起こりすぎて、鈍感になるように育てられて、生きてきてしまったから。

 

私は去年から主にジェンダーについて色々学んで、前よりも周りの環境に敏感になって、気づけること・見えるものが増えた。自分の奥底にこびりついてたものを見つけてそれを剥がす瞬間は気持ちよくて楽しい。

だけど、自分ですでに剥がして捨てた価値観を他人から「いや、それは身に付けておくべきじゃない?」と押し戻されることもあって、それに上手く対処できないという苦しさやもどかしさに、心がどんよりしてしまうことも多い。

 

 

 

そういえば部活に必死だった高校生の頃も、同じようなことがあった。部活終わりに親友と二人っきりで今のチームの状態について話すのが日課で、自分たちは「見える」状態で他のチームメイトたちの多くは「見えていない」状態だってことに苦しんでた。二人の世界に閉じこもって、二人だけに見えてるチームの課題を勝手に抱え込んで、「こんなにしんどいなら見えない側にいられたらよかった」って思うようになって。

でも今はなんとなく、「見えない側にいられたらよかった」んじゃなくて、見えているだけの状態に留まってるからしんどかったんだろうと思う。

 

 

 

 

こびりついてるおかしなものに気づいて、見えるようになって、自分の力でそれを剥がしたら、それから先はどんな風にその「剥がすべき価値観」を身に付けたままの人・まだ剥がせていない人と関わって、自分の価値観を大切にしてあげればいいんだろう、、

 

 

 今私が持ってる、ヒントになるかもしれないものの一つは、「普遍的で、基本的なこと」。

 

職場などでの上下関係を利用したハラスメントはやめましょうとか、家庭や恋愛などプライベートな内容の質問をしまくるのはやめましょうとか、相手の恋人や配偶者について話すとき「彼氏/彼女」「旦那さん/奥さん」など性別を決めつけた呼び方をするのは控えましょうとか、そういうものに触れると毎回お決まりのように「最近は決まりが厳しすぎるなぁ」「めんどくさい時代になったなぁ」みたいな反応をしてしまう人はどこにでも一定数いるけど、

「最近」の「新しい」考え方だから従わなきゃいけないわけでも、時代に付いて来いと言ってるわけでもなくて、全部単純に「誰かを傷つけないために想像力を持ちましょう」という基本的なお約束のままだ。 

 

自分にとって新しい考えや言葉に出会った時、どうにか普遍的で基本的なレベルまでブレイクダウンして理解・納得できるようにがんばる。

例えば私のバイト先でのおかしなジェンダー規範が「おかしい」ことである、普遍的で基本的な理由は、「決めつけによって、個人を尊重できてない」から。

店員が勝手に判断して男の子には青のスプーンを渡すことは、男の子は青が好きだと決めつけているので良くない。男の子は青が好きだと決めつけるのは、性別と特定の性質や役割を結び付ける習慣を生むので良くない。性別と性質や役割を結び付けるのは、様々な場面で本人の意思に反した役割や性質を期待し押し付けてしまうので良くない。自分の意思に反した役割や性質を押し付けられるのは、個人の意思が尊重されていないので良くない。

あぁこれも結局は「個人を尊重しましょう」ってことなんだなってわかれば、難しそうな論も落とし込める気がする、たぶん。

だとしたらそれが鍵なのかもしれないよね。異常なものを「これは異常ですよ」と伝えるための、鍵かもしれないよね。

 

 

 

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そしてもう一つ大切なのは、「はがすべき価値観をまだ身に付けている人」だけに目を向け続けないことだ。

 

数日前に知り合いの目上の方と話す機会があって、いつも通り私は「まぁ私のアンテナが過敏になっちゃってるのかもしれないですけど」って前置きをしてからバイト先でのモヤモヤについて話をしたんだけど、話を聞いてくれてたその方がものすごく当たり前に「過敏なんかじゃないよ」と付け加えてくれて、ドキッとした。

私だってバイト先でのことは異常だと自信を持ってるはずなのに、課題を課題だって声に出すことに後ろめたさを感じてしまって、しかもそれを態度にも出してしまってたんだ。なかったことにしたくないのに、「まぁ現実そんなもんですよね」と言ってしまいそうな、そういう大人になりかけている自分にハッとして、背筋が伸びた。

 

私の話を聞いて「それはあなたが過敏なわけじゃないよ」と当たり前に肯定してくれたあの人は、心底かっこよかった。

そこら中にあるジェンダーの問題に気が付いてない人たちと比べて「見える状態」だということをしんどく感じてしまうことも多いけど、関心ゼロの人たちにどう訴えかけるかを必死に考えることだけが解決策ではないのかもしれないよね。

少しずつ問題意識を持ち始めてる人に対して「その違和感は間違ってないよ」と言えることも、きっと同じくらい大切で大きいんだよね。そうやって肯定できるくらいの知識量や思考を身につけることを目標にするのも素晴らしいんだよね、きっと。

そして、少し興味を持ち始めてる人とかすでに学んでる人とたくさんお話をしてコミュニティを少しずつ広げていくことを、頑張ってもいいんだよね。私が秋田市男女共同参画の活動に加えてもらったように、そして私も友達にその活動の話をして少しはジェンダー学を身近に感じてもらえてるように、少しずつ、広がっていくだろうから。

 

 

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最後に

だいたい月1というかなりゆっくり(?)ペースのブログだけど、ちょくちょく気にかけてここを覗いてくれて、ありがとう^_^

月に一度書いてるというよりは1ヶ月かけて書いてるって感覚なので、頻度はなかなか上げられないけど、、

もうすぐ、いろんな人が私のブログのページを開いてくれた回数が、合計1万回になるよ!びっくり!こんな長くやってることを考えたらたいしたことないのかもしれないけど(笑)それでもものすごく、勝手に、嬉しいです!!

素直に喜びます!やったーー!!

 

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明日も、5月も、幸せに過ごせますように!