知らぬ間に夏がやってきてしまいましたが、春の出来事の話を。
結婚しました。

私は、私の結婚相手のことを、短く・適切に言い表すのにいつも苦戦する。
ひとに恋人の存在について明かす時によく付いてくる、「どんな人?」という質問。相手もものすごく興味を持って聞いているわけではないので、なるべく簡潔に/わかりやすく/面白く答えられるよう努める。
私、三人きょうだいの一番上なんですけど、相手は三きょうだいの一番下で。典型的な末っ子タイプです。とか。
もう、超楽観的です!私が完璧主義なので良いバランスですけど、調子狂うんですよね〜。とか。
タイプ分けという娯楽が流行して久しい。小馬鹿にしつつ、私もそれに乗っているのだ。末っ子タイプ、楽観主義タイプ。
帰りの電車で、毎度モヤモヤする。
たしかにあやつは、疲れてどうしてもやる気が出ない時、言葉はほとんど使わず表情だけで、私にお風呂掃除を依頼しやがる。末っ子だ。二人で初めての店に行く時、ナビ役はたいてい私。末っ子極まりない。
でも、、両親が東京に遊びに来てくれることになった時、何をしようどこを案内しようと考えすぎた結果「みんなでボウリング」という今考えればナンセンスな案で突き進みかけていた私を(ボウリングはハイセンスだけど、東京を楽しみに来る旅行客だからね)、やれやれと方向修正してくれたことがあったな。
そういえば、お風呂にさっさと入れと催促するのはいつもあっちだな。などなど。
たしかに彼が感情的に怒る姿は一度も見たことはないしそれは楽観的だからなのかもしれないけど、あっでも、食べ終わったお皿を水もかけずに置いておくとやいのやいの言ってくるじゃんね。
など。
人の多面性。それを認めること。
いや、もっと低い次元でよくて…
誰かのことを、ハッキリ言い表しきれないこと。
愛する、尊重する、受け入れる、みたいなことの実写化なのかもしれない。

小さい頃、いやもっと最近まで…大学進学で実家を出るまで。私は自分の体内に言葉を溜め込み、体調をよく崩した。
正座させられて、大声で怒鳴られて、心臓がバクバクバクバクして涙が出て、拳を握りしめながら口をつぐんだ。数え切れないくらい親を呪った。○○な奴だと体内に書き記した。何種類も。
社会人になって、人並みに「嫌な上司」ができた。その人について先輩と一緒に悪口を言う時、その人の問題点や周囲を悩ませている点についての分析が湧き出てくる。私の愚痴を聞いてくれる相手は、目をまんまるにしながら「的確!」と言ってくれる。
様々観察して、必要以上に情報を吸収し、脳を回し、言語化してしまう。誰にも頼まれてないのに。
あー、あの人は○○すぎるな。彼は○○だろうなと思うんですよねえ。
私のこの癖は、愛とは反対の方向から来ているもので
そこから発生する、活力。言語化への渇望。
何度も通院し高価な検査も何度も受けさせてもらったあの頃の頭痛について、誰も原因を特定してくれなかった、最後まで言語化されなかったことに起因する、私の悪い癖だ。

過去の全ての、終わった恋愛。本来「愛」サイドにいるはずの相手のことを勝手に解釈して、手紙にまとめ、突きつけた。何度も。
あなたは頑張り屋さんですが、その頑張りを私に共有してくれません。自分とは何者か、隠したがるきらいがあります。もっとお話ししたいのに、酷いです。 そんな風に。
酷いことして、ごめんなさい。

この人のおかげだと思うのだ。
私の言語化脳にストップをかけられるようになったのは。
これは引退表明ではないし、言語化は愚行ですと言うための文章ではない。
自分の得意な行動や性質は、必ずしも愛する人に愛を伝えるための最適の術ではないという自戒。警鐘。
ちゃんと胸に留めておきたい。
結婚してくれてありがとう。楽しく過ごそうね。




















